操作か、それとも助力か?――ナッジの哲学的議論
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はじめに

朝、SNSを開くと「あなたに最適なニュースを選びました」と提示される記事一覧。それをクリックするのは、果たして自分の意思だろうか、それともアルゴリズムの誘導のままなのか。こうした場面は、ほんの些細な気づきかもしれないが、実はナッジの哲学的核心を映し出している。

ナッジは人々の行動を後押しする手法でありながら、その根底には「人はどこまで自由に選択しているのか」という鋭い問いがある。自由をうたいながら、実は行動が誘導されているのではないかという懸念が常につきまとうからだ。国家や企業の「やさしい介入」は私たちの幸福を実現するのか。それとも私たちの意思決定を密かに囲い込み、自由そのものを損ねるのか。今回のエッセイでは、ナッジをめぐる哲学的議論とともに、「自由とは何か」という根源的な問題に立ち返って考えてみたい。

リバタリアン・パターナリズムと自由の捉え方

ナッジの文脈で頻繁に登場するのが、リチャード・セイラーとキャス・サンスティーン(Thaler & Sunstein, 2003; 2008)が提唱した「リバタリアン・パターナリズム」という概念である。彼らの主張によれば、ナッジは選択肢を潰さず、人々の自由を残したまま“そっと”望ましい方向へ促すものである。たとえば年金加入をデフォルトに設定しておき、本人が希望すればいつでも離脱できる――これなら強制や罰則ではなく、あくまで自由を保証しているというわけだ。

だが、この「自由は残されている」という主張には反論が絶えない。そもそも自由を「選択肢の数」と定義するのか、それとも「自ら熟慮し、決断するプロセス」を重んじるのかによって結論が変わってくる。もし後者だとすれば、たとえ形式的にはオプトアウト(拒否手段)があっても、人々が無自覚にデフォルトへ流される状態は「真の自由」とは言い難いという批判が成り立つ(Hansen & Jespersen, 2013)。

しかも、国家や企業が「これが望ましい」と考える行動へ私たちを誘導するなら、そこには設計者側の価値観や利益が組み込まれる。どんな手段・目的であれ、「結果的に良い選択をしているのだからいいではないか」と考える立場もあれば、「自分の頭で判断する場を奪われている」と考える立場もある。たとえば健康的な食事を促すナッジが、実は特定食品業界の利益に結びついているかもしれない。そのとき私たちは「自由に選んだつもり」であっても、巧みに敷かれたレールの上を歩かされている可能性がある。

自由とは、単に複数の選択肢がある状態なのか。あるいは他人や社会の思惑を超えて自ら選び取る力そのものなのか。ナッジの議論は、私たちがふだんぼんやりと使っている「自由」という言葉を改めて問い直すきっかけを与えてくれる。

操作か助力か――透明性と責任のジレンマ

ナッジに対するもう一つの大きな論点は、「操作と「助力」の境界をどこに引くのか、という問題だ。ナッジの設計者は「本人のためを思っている」と言うかもしれない。しかし、何を“ため”とみなすかは必ずしも普遍的ではない。たとえば健康重視のナッジを受けることで喜ぶ人もいれば、自由に好きなものを食べたいと考える人にとっては大きなお世話かもしれない。

さらにナッジが「やさしい介入」であることを保つには、透明性が欠かせないという議論がある(Sunstein, 2015)。具体的には、どのような目的で、どのようなバイアスを活用し、どんな結果を期待しているのか、情報を公にして社会の批判にさらすのだ。こうすれば、権力乱用の危険は一定程度減らせる。実際、英国内閣府の行動洞察チームは多くの実験結果を公開し、データに基づく評価を受けている。しかし、すべてが透明化されればナッジの効果が薄れる可能性もある。デフォルトに流される裏にある心理メカニズムが万人に知れ渡れば、人々がそこから意図的に逃れようとすることもあるだろう。

一方でナッジを完全に隠してしまえば、それは「操作」への道を開く。つまり、ナッジの実効性透明性・説明責任のバランスが常に問題となる。公開しすぎると効力が下がり、秘密裏に進めれば操作性が高まる。ここにあるのは「本人の自由を手厚く守る」一方で「行動を改善したい」という二律背反であり、ナッジが抱える倫理的・政治的ジレンマの核心でもある(Hansen & Jespersen, 2013)。

おわりに

人間は本当に自由だろうか。あるいは環境や心理バイアス、そしてナッジによって常に誘導されている存在なのだろうか。ナッジに対する評価を通じて浮かび上がるのは、私たちが抱える自由意志の境界の問題である。選択肢が複数あれば自由と呼べるのか、意図を知らされていなければ操作なのか――答えは一筋縄ではいかない。

だが、その曖昧さを理解することで私たちはむしろ「自分が何を重視して選ぶのか」を考え直すきっかけを得るのではないか。次回はナッジを神経生理学的な視点から眺め、その作用メカニズムが脳にもたらす影響を探ってみたい。人間の自由とは何か、という問いに、また別の光が当たるかもしれない。

参考文献

  • Hansen, P. G., & Jespersen, A. M. (2013). Nudge and the Manipulation of Choice: A Framework for the Responsible Use of the Nudge Approach to Behaviour Change in Public Policy. European Journal of Risk Regulation, 4(1), 3–28. https://doi.org/10.1017/S1867299X00002762

  • Sunstein, C. R. (2015). Nudging and Choice Architecture: Ethical Considerations. Yale Journal on Regulation, 32(2), 413–450. https://doi.org/10.2139/ssrn.2551264

  • Thaler, R. H., & Sunstein, C. R. (2003). Libertarian Paternalism. American Economic Review, 93(2), 175–179. https://doi.org/10.1257/000282803321947001

  • Thaler, R. H., & Sunstein, C. R. (2008). Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness. New Haven, CT: Yale University Press.

 

 

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