
目次
はじめに
朝起きてスマートフォンを手に取ると、健康アプリが「今日はあと1000歩多く歩いてみませんか?」と勧めてくる。これはわずかな促しにすぎないが、無意識のうちに「やってみようか」という気にさせる力をもっている。こうしたささやかな誘導は、政治や経済、そして私たちの保健行動など、多くの場面で利用されている。いわゆる「ナッジ(Nudge)」である。
ナッジが広まるにつれ、それが本当に人々のためになるのか、それとも巧妙な操作に過ぎないのかという疑念も浮かび上がる。人間の自由や自己決定を尊重しつつ、「望ましい行動」へと誘導することは可能なのか。私たちの意思決定とはそもそも誰のものか。今回のエッセイでは、ナッジの定義や応用事例、誕生の歴史、そして批判を振り返りながら、こうしたナッジへどう向き合うべきかを探っていく。
ナッジの定義と具体的な手法
ナッジの概念を提唱したのは、行動経済学者のリチャード・セイラーと法学者のキャス・サンスティーンである(Thaler & Sunstein, 2003; 2008)。彼らによれば、ナッジとは「選択の自由を残しつつ、人々の意思決定に影響を与えるちょっとした工夫」のことであり、経済的インセンティブや強制力を大きく用いない点が特徴である。
たとえば年金制度で加入をデフォルトとする仕組みにより、個人が明示的に拒否しなければ自動的に加入が成立する(Johnson & Goldstein, 2003; 2004)。これにより加入率は大幅に上昇し、老後の資産形成に寄与する。
政治分野の具体例としては、納税率向上に向けた施策が挙げられる。英国の税務当局が住民に送る督促状に「近隣の大多数は既に納税を済ませています」と社会規範を示す文言を追加したところ、支払い遅延が顕著に減ったという報告がある(Hallsworth et al., 2017)。経済領域では、職場の貯蓄プランを「デフォルトで加入」に設定し、従業員が意識せずとも将来の資金を積み立てやすくする介入(Thaler & Benartzi, 2004)が代表例といえる。保健制度の分野でも、予防接種のリマインダー文面を工夫するだけで接種率が上がる事例がある。
さらに近年は、省エネや環境保護の文脈でもナッジが活用されている。たとえばホテルの室内に「他のお客様もタオルを再利用しています」と掲示するだけで、タオル再利用率が向上した(Goldstein et al., 2008)。こうした小さな介入が大きな行動変化を生み出す背景には、社会的証明やデフォルトバイアスなど、人間の判断のクセがあるとされる。
ナッジの歴史と抱える批判
ナッジの歴史は、行動経済学が台頭した20世紀後半から21世紀初頭にかけての研究の積み重ねとともに歩んできた(Thaler & Sunstein, 2008; Congiu & Moscati, 2022)。合理的ではない人間の意思決定を分析した先駆的研究が土台となり、そこから「理想的な選択を後押しするちょっとした仕掛け」の必要性が唱えられたのである。実際、2008年に出版された『Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness』のベストセラー化を機に、この考え方は急速に広がった。英国政府が専門部署「行動洞察チーム(通称ナッジ・ユニット)」を設け、他国でも類似の取り組みが広がったことも歴史を大きく動かした(Benartzi et al., 2017)。
しかし、ナッジには批判も少なくない。第一に、政策当局が心理的バイアスを利用して人々を「操作」しているのではないかという倫理的懸念である(Hansen & Jespersen, 2013)。ナッジが提唱する「自由は奪わない」という建前があっても、知らないうちに誘導されている点を「隠れたパターナリズム」と呼ぶ向きもある。第二に、ナッジの効果は状況によって大きく変わり、本当に長期的な行動変容につながるかは検証が不足しているという課題も指摘される(Sunstein, 2015)。第三に、個人の意思決定を尊重すると言いながら、結局は施策を設計する側の価値観が優先される可能性がある、という根源的批判もある。ナッジの「やさしい介入」には、こうした構造的な倫理・政治的論点が常につきまとう。
おわりに
毎朝の健康アプリの通知から、国民の生活習慣や年金加入を変える政策まで、ナッジはあらゆるレベルで私たちの行動を左右する可能性をもっている。人々の選択を改善する有効策として期待を集める一方、裏側にある意図や仕組みを隠し、誘導を強めすぎれば、それは単なる操作へと堕してしまう恐れもある。
しかし、だからこそ私たちはナッジをどう受け止め、どう批判し、どう育てるかを考える必要がある。果たして「善き意図」ならば、少々の操作を許してよいのか。強制ではない方法なら、自由を侵してはいないのか。自由はどこまで尊重されるべきなのか。
役に立つから良い、ではなく、一度立ち止まって、そのあり方を吟味する必要があるのではないだろうか。
次回の記事ではナッジの背景にある心理学的理論を掘り下げ、その実際のテクニックをさらに検証してみたい。