
ヒトの命は脳幹にある、そう授業では学んできた。
しかし、それは本当だろうか。
たしかに脳幹は命の根幹を司っている。
心臓を動かしたり、呼吸を制御したり、はたまた脳の覚醒レベルを調整したり。
そう考えれば、脳幹の死=脳死≒死
と捉えることも正しいように思える。
しかし、脳死は死であるとは言い切れない。
例えば、脳死での臓器移植では
医師はドナーに麻酔薬を投与するという。
なぜならメスを入れた瞬間に、ドナーの体はあたかも生きた人間のような反応をするからだという。
それは単なる脊髄反射なのかもしれないが、見ている外科医にとってはまごうことなき「生」なのではないだろうか。
それとは別に認知症の末期では表情も乏しくなることがある。
最後は刺激や問いかけに対しても何のリアクションも示さなる。
このような状態になると、家族としても「生」を感じられなくなるためなのか、お見舞いの頻度が少なくなることもあるかもしれない。
さてここでもう一度考えてみよう。
あなたや私が感じる「生」というのは脳幹にあるのではなく、
「リアクション」という現象にあるのではないだろうか。
問いかけ、それに応答し、あなたがそれを感受する刹那に
ヒトの生が立ち現れるのではないだろうか。
たとえ最愛の家族がなくなったとしても、仏壇でろうそくの炎が揺れれば、
あなたはそこに故人の「生」を感じるとることもあるのかもしれない。
脳幹の働きは命の十分条件であるのだろう。しかし、おそらく必要条件ではない。
他者の命は他者の身体の中にはなく、あなたの脳髄の中にある。
脳幹がなにかに興味のある人は以下の動画を覗いてほしい。
【脳科学百話 No,4 脳幹】
https://youtu.be/UL4axNFlnb8

