脳は“ズレ”で賢くなる――予測符号化理論が明かす学習の秘密
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はじめに

私たちが日常生活で当たり前のように行っている「見る」「聞く」「考える」といった行為は、脳の中でどのように処理されているのでしょうか。最新の脳科学の視点によると、脳は単に外界からの情報を受け取っているだけではなく、絶えず「何が起こるか」を先読み(予測)し続けていると考えられています。この「予測と実際の食い違い(誤差)の検出」が、私たちの学習や知覚、行動の適応に大きく寄与しているというのです。
本稿では、この考え方を包括的に説明する「予測符号化理論」を中心に、学習の根幹となる脳の働きについてわかりやすく解説します。

予測符号化とは何か?

予測符号化理論をひとことで言うなら、「脳は“予測”にもとづいて情報を処理し、現実の感覚情報とのズレ(誤差)を手がかりにモデルを更新するシステムである」という考え方です。従来の認知モデルでは、五感を通じて入力される情報が脳内で処理され、最終的に知覚や判断が生じる――という“下から上へ”の流れを重視してきました。しかし近年の研究や理論は、「脳内には上位レベルから下位レベルへ向かう絶え間ない予測の流れ」が存在し、それこそが知覚や学習の本質を支えていると示唆しています(Bar, 2007; Clark, 2013)。

具体的には、脳は過去の経験や学習の成果から「こうなるはず」「こう見えるはず」という推測を作り出し、それをもとに目や耳などの感覚情報を「補正」していると考えられます。その推測と実際に入ってきた感覚とが一致していれば誤差は小さく、脳にとっては「特別に修正すべきことはない」状態になります。一方、大きく食い違っていれば誤差が生じ、それをきっかけに脳内モデルをアップデートするわけです(Friston, 2010)。

脳は“誤差”をどう使うのか?――予測誤差の役割

予測符号化で鍵となるのが、予測と現実のギャップである「予測誤差」です。誤差が発生すると脳は「これは想定外だ」と認識し、原因を探ってモデルを調整します。たとえば、人混みの中で知人を見かけたつもりが、近くまで行ったら別人だった――このとき、脳は「先ほどの見かけは知人ではなく、似た雰囲気の他人だった」という新たな理解を形成し、次回は間違えにくくなります。

このように予測誤差は、学習や知覚の最適化に欠かせないシグナルです。脳は、常に誤差を最小にするように「仮説(内的モデル)」を修正し、より正確に世界を捉えようとします(Clark, 2013)。これによって、私たちは日常生活の中で効率よく行動し、驚いたり失敗したりしたときほど新しい知識やスキルを身につけているのです。実際、「間違い」や「意外性」が学習効果を高めることが多々あるのは、この仕組みと深く関係しているとみなせます。

引用:Agenda note | マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #21 消費者はなぜ決断を先延ばしにするのか、最新脳科学から推論する対策とは?

脳の階層構造――トップダウン予測とボトムアップ誤差

脳には、視覚や聴覚などを直接処理する低次領域(一次視覚野・聴覚野など)から、記憶や意思決定といった高度な働きを担う高次領域まで、階層的に連なるネットワークがあります。予測符号化理論によると、上位の脳領域ほど抽象的で大まかな「予測」を作り出し、下位の脳領域ほど、より細かな感覚情報を実際に確認していると考えられます(Keller & Mrsic-Flogel, 2018)。

たとえば、あなたの脳の上位領域が「今、前方にいるのはいつもの友人だろう」と予測しているとします。すると、下位の視覚領域は、その人の体格や髪型、服装の色など、より具体的な情報を一つひとつチェックします。もしそれらが友人の特徴と一致すれば、上位の予測と下位の感覚情報にはほとんどズレがなく、脳は「ああ、やっぱりあの友人だ」と納得するのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが、いざ近づいて顔を見てみたら、まったくの別人だった――という経験はないでしょうか。このとき、上位の予測(友人だという思い込み)と、下位が得た現実の視覚情報(知らない人の顔)に大きなギャップが生まれます。すると脳はその誤差をきっかけに「これは友人ではなく別の人だ」と解釈を更新します。こうして脳は、トップダウン(上位からの予測)とボトムアップ(下位からの誤差)の両方向のやり取りを通じて、私たちが見たり考えたりする内容を最適化しているのです。

別の見方をすると、「脳はまずざっくりとした“予想図”を用意し、それに合わない情報があれば誤差を起点にモデルを修正しながら、安定した知覚体験をつくり上げている」とも言えるでしょう。

学習への応用――予測符号化がもたらすメリット

予測符号化理論を踏まえると、「人間が学ぶ」という行為は「誤差を減らすプロセス」と重なります。新しい概念や技術を学ぶときは、既存の知識(予測)を試し、その結果とのズレ(誤差)を修正していくことの繰り返しだからです。脳科学的には、こうした誤差処理が起こるときに神経活動や化学物質(たとえばドーパミン)が変化し、それがシナプス可塑性――つまり神経細胞同士の結びつきの強化や再編成――を促すとされています(Friston, 2010)。

これにより、脳は「何かを学ぶほど予測精度が上がっていく」仕組みを獲得しているわけです。幼児が言葉を覚える際にも、周囲の音声に対する予測と実際の言葉のズレを微調整しながら、徐々に正しい発音や文法を身につけると考えられます(Lupyan & Clark, 2015)。同様に、スポーツや楽器演奏などの技能習得においても、動作と感覚フィードバックの誤差が改善されるまで反復することで、より正確な動作パターンを身につけていくのです。

“意外性”が学びを深める

私たちの経験上、「意外な発見」や「予想外の出来事」のほうが強く印象に残り、長く記憶にとどまることが多いのではないでしょうか。これは予測符号化理論の観点から言えば、「大きな予測誤差」が生じて脳が活発にモデル修正を行うため、とても効率的に学習されるからだと考えられます(Clark, 2013)。

心理学実験でも、学習者が自分なりの予想を立てたうえで正解を知ると、その誤差が強いインパクトを残して記憶に結びつくという結果が報告されています(Theobald et al., 2022)。いわゆる「クイズを先に出す→解答を聞く」というシンプルな手法でも、学習効果が高まる理由の一端は、誤差に対する脳の反応にあるといえます。誤差は私たちの注意を大きく引きつけ、積極的に「モデルを調整しよう」という神経機構を駆動するからです。

予測符号化がもたらす新しい視点

予測符号化理論は、脳の知覚や学習だけでなく、社会的行動や言語処理にも広く応用されつつあります。人と人とのコミュニケーションにおいても、私たちは「相手が何を考えているか」を推測し、その予想が外れたときに誤差を修正しながら相手を理解していきます(Thornton et al., 2019)。また、言語の理解でも文章の文脈から次に来る単語を脳が予測しており、大きく外れた単語が来ると神経学的な変化(たとえばN400成分の増大)が観察されることが報告されています(Nour Eddine et al., 2024)。

こうした研究は、私たちが普段まったく意識せずに行っている「推測と修正」の営みが、脳の根源的メカニズムに支えられていることを示唆します。将来的には、この予測符号化モデルを活用して、教育現場の学習法を改善したり、認知症や発達障害の特性を理解・支援したりする応用も期待されています。

まとめ

予測符号化理論は、一見複雑に見える私たちの学習や知覚、行動の裏側を「脳は予測して誤差を調整する」というシンプルな原理で捉え直す枠組みを提供してくれます。驚きや意外性が学びのスイッチを押すのは、脳が常に「誤差を減らす」ようにプログラムされているからだ、と考えると納得がいきやすいでしょう。

日常でも、「予想してみる→結果を見る→ズレを意識する」というステップを少し工夫して取り入れるだけで、記憶やスキルの習得がスムーズになるかもしれません。まだまだ解明されていない部分も多い理論ではありますが、「脳はどのように世界を理解し、学んでいるのか?」という根本の問いに対して、予測符号化が今後ますます多くの示唆を与えてくれるはずです。

参考文献

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