はじめに
世の中には様々な性癖がありますが、その中でもマゾヒズムというのは倒錯している点で際立っています。マゾヒズムでは痛みや侮辱に喜びを感じるそうですが、なぜネガティブな刺激がポジティブな感情を生むのでしょうか。今回の記事では、そのメカニズムに触れた総説論文を元に考えてみたいと思います。
心理学的・生理学的枠組み
下の図は痛みが喜びとして感じられる機序としては以下のものが考えられています。
・痛みを受ける前の段階で、視覚刺激や状況、感情、人間関係、記憶、性的興奮などが痛みへの前向きな期待を生み出す。
・性的興奮は痛みへの前向きな期待を高めるとともに、ドーパミンやオキシトシンの放出を介して鎮痛効果をもたらす。
・これらの要因が、痛みを快楽として体験する下地を作る。
・痛み刺激を受けた時、さまざまな神経伝達物質やホルモンの放出とともに、内因性オピオイドやカンナビノイドも放出される。これらが痛みへの生理学的、心理学的反応を調節する。
・こうした条件下でマインドフルネス状態となり、意識変容が起こる。これが痛みの快楽への変容に寄与する。
下の図はこれをフローチャートにしたものですが、これらについて詳しく紹介します。
1.感情的・対人的文脈
私達が感じる感覚は多分に文脈によって変わってきます。身近なところだと自宅で飲むお酒よりもお店で飲むお酒のほうが美味しいですし、同じ料理であれば気の利いたお店で食べたほうがより美味しく感じます。これは痛みについても同様で、信頼できる相手や儀式的なシチュエーションの設定では、性的覚醒を高め、痛みに対する感覚も変わり、トリップしたような感覚が引き起こされやすくなると考えられています。
2.ドーパミンとオキシトシンの放出
このような特殊な設定ではドーパミンとオキシトシンの放出が促されることになります。ドーパミンは覚醒レベルを高め、痛み知覚を低下させる働きがあります。またオキシトシンは信頼関係のある相手と触れ合うときに放出されますが、これも同じく痛み知覚を低下させ、愛情に溢れた感覚を引き起こすことになります。
3.痛みに対するポジティブな期待
特殊な設定やドーパミン・オキシトシンの放出によって、これらか与えられようとする痛みに対してポジティブな期待が高まります。この時のポジティブな勘定によって痛み知覚が低下することになります。
4・5.痛み刺激とトップダウン/ボトムアップ処理
痛み刺激は様々な形で与えられますが、これは様々な生理学的反応を引き起こします。覚醒レベルを高めるホルモン、ドーパミンのレベルが高まり、ストレスホルモン、コルチゾールのレベルも上昇します。これに加えて脳内麻薬の一種である内因性オピオイドや内因性カンナビノイドが放出され、ランナーズ・ハイで見られるような高揚した快感情が引き起こされます。
6.マインドフルネスと変性意識状態
これらの様々な変化を受けて、最終的にマインドフルネスの状態が引き起こされることになります。すなわち、意識が「いま、ここ」だけに集中している状態が引き起こされることになります。またお酒や麻薬、サウナなどで引き起こされるトリップしたような感覚、変性意識状態が引き起こされ、痛みが快楽として感じられるのではないかと考えられています。
まとめ
痛みが快楽として感じられるというのは不思議な感じがしますが、そこに至るには様々な心理学的・生理学的プロセスを経ているようです。また今回の記事では触れていないのですが、SM愛好者には高学歴者が多く、これを楽しむには知的な要素が関係しているとも考えられています。マゾヒズムに特有の脳活動もあるようですが、これについては追って調べていきたいと思います。
【参考文献】
Dunkley, C. R., Henshaw, C. D., Henshaw, S. K., & Brotto, L. A. (2020). Physical pain as pleasure: A theoretical perspective. The Journal of Sex Research, 57(4), 421-437. https://psycnet.apa.org/doi/10.1080/00224499.2019.1605328