運動主体感と自己主体感はどのように作り出されるのか?
普段私達は自分の体が自分のもので自分が思った通りに動いていると感じますが、これは一体なぜなのでしょうか?
こういった感覚は自己主体感(自分がいまここに在るという感覚)といった言葉や
運動主体感(自分で自分の体を動かしている)という言葉で説明されますが、こういった感覚はずれてしまうこともよくあり、
統合失調症では自分の体が動かされているように感じてしまったり、
あるいは精神的なストレスが問題で離人症という、心と体が乖離したような状態になることも知られています。
今回取り上げる論文はこの運動主体感や自己主体感が脳の中でどのような仕組みで作られているか、予測的符号化という概念をもとに仮説的に示したものです。
An interoceptive predictive coding model of conscious presence
予測的符号化とは?
脳はスーパーコンピュータさながら莫大な情報を瞬間瞬間でどんどん読み込んでいきますが、私達の周りの世界というのは取り囲む情報もまた莫大で正攻法で情報を取り込んでいったのでは刻々と変わる状態についていくことができません。
釣りをしている場面やあるいはバスケットボールやサッカーをしている場面を思い浮かべてもらえば想像しやすいと思うのですが、私達の脳は常に一瞬先の世界を読みながら動いています。
ボールはこっちの方へ飛んでくるだろうという前提で体は動きますし、心は感じる準備をします。
瞬間瞬間で予測を立てることで、適切な感覚を適切なだけ敏感にして世界に応じています。
山道を歩くときは足裏の感覚や膝の感覚が鋭くなるでしょうし、セラピストが患者の歩行を観察するときには然るべき情報(下肢の関節角度や重心の動揺、左右前後の非対称性など)が絞り込んで脳に入ってきます。
このように私達の脳は常に一瞬先の世界を予測して感じており、その予測の仕方というのも置かれた状況に応じて異なる重み付けがなされているのですが、
一瞬先の世界を先回って捉える仕方は予測的符号化と呼ばれています。
予測的符号化における階層モデル
ではこの予測的符号化モデルですが、具体的には私達の脳はどのようにして世界を予測するのでしょうか?
これを説明するに当たり階層モデルというものが想定されています。
これは例えばお化け屋敷に入ることを考えると、脳はお化けが出るだろうとう文脈に沿って
意味ありげな扉や窓の情報を選択的に強く反応するようになります。(階層1)
扉や窓に強く反応することに伴い、特定の色(暗闇の中の淡い光)や特定の形状(扉や窓の形を作っている直線、もしくは直角)に選択的に強く反応するようになります(階層2)
このように置かれた状況によって、階層的に上位から下位に向かって情報の予測を絞り込んでいくようなモデルは階層モデルと呼ばれています。
これは錯覚の話で出てくるこの絵を見るとわかりやすいかと思います。
引用元:Gregory R (1970) “The intelligent eye” McGraw-Hill, New York (Photographer: RC James)
これだけだとぱっと見よくわかりませんが、これがダルメシアンドッグだよと言われると、それにしか見えないように脳は適切に形を検出できるようになります。
これも階層的に犬だという上位の情報が下位の情報処理(線や曲線)に影響を与えるような現象になります。
私は少しドイツ語ができるのですが、その昔旅先の相部屋で寝ていると、よくわからない外国語が聞こえてきました。何語かなと思って彼らの様子を見るとなんとなくドイツ人っぽいなと思ったのですが、そう思った瞬間から意味のないノイズのような音は意味のあるドイツ語に変身して耳に飛び込んできました。
このように上位の情報(ドイツ語に違いない)は下位の情報処理(ドイツ語特有の語彙、文法、さらに下って特有の音響)に影響を及ぼし、適切に予期的な感覚を生み出して適切に認知できるようになります。
つまりこの莫大な情報溢れる世界で適切に世界を認識できるためには、置かれた状況に沿って適切な情報処理システムを適切な鋭敏度で動かすことと、
また適切な鋭敏度で一瞬先を予測して感覚すること(例として「今日私は山へ・・・」まで言われたら、脳は「行きました」を専攻的に予測している)が大事になってきます。
運動主体感と自己主体感の生成モデル
ではこの予測的符号化モデルに従うとすれば運動主体感や自己主体感はどのようなモデルとして捉えられるでしょうか。
この論文で示されているのは以下の図なのですが
基本的に運動主体感も自己主体感も状態モジュールと誤差モジュールの組み合わせからなっています。
状態モジュールはある状態を引き起こす(Aout,Pout)と同時に誤差モジュールへ予測を送ります(Apre,Ppre)。
誤差モジュールは実際に起った結果を予測と比較して、その誤差を状態モジュールへ戻します(Aerr, Perr)。
この誤差モジュールから状態モジュールへ戻される誤差情報が少ないとき、あるいは適切に説明できるときには運動主体感(自分で自分の体を動かしている)や自己主体感(自分がここにある)が立ち上がることが考えられています。
運動主体感のモジュールであれば、まず状態モジュールが筋が適切な状態に変化するように運動感覚系(皮膚、筋、関節、眼などの効果器)に作用し、運動感覚系は実際にどうなったかを誤差モジュールへ戻します(思いの外、膝が折れた、重かったなど)。こういった誤差が少なければ自分の体が自分のもののように感じますし、手枕をして腕が痺れれば、動かしてもまるでエイリアンの腕のように感じるかもしれません。
自己主体感も同じように、内臓の働きに作用して(心臓の活動を高めたり、胃腸の蠕動運動などに促したり)、予測と実際の誤差を感知し、これに大きなズレがなければ自分がここにあるという実在感を持つことができます。胸がどきどきしたり、胃がキュッとしたりするあれです。
メンタルが落ちてくると、悲しいはずなのに悲しくない、まるで自分が自分でないような気がするということもありますが、これは内受容感覚(内臓感覚)の誤差検出システムが上手く働いていないためであると考えられます。
また運動主体感と自己主体感では上下の関係があって、体が動き感じることで、心(内臓)のありようが変わるモデルとなっています。これは笑うから楽しい、泣くから悲しいといったジェームズ・ランゲ説の立場を踏まえたものになります(割り箸を口に挟んでコメディを見ると面白さが上がるなど)。
この論文では、このモデルの裏付けとなる様々な研究を元にこのような運動主体感、自己主体感の生成に大事な領域は前部島皮質なのではないかということが説明されているのですが、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
前部島皮質の働きとは?
脳というのは表面から見えるところだけでなく、シワの奥深くに隠れた部分も相当大きいのですが、この隠れた部分の中でもひときわ大きいものに島皮質というものがあります。
この島皮質というのは脳の広い部分とつながっており、バレーボールで言えばセッターのようなポジションにあります。
つまり内臓の感覚に始まり、腕や足の感覚、視覚、聴覚、様々な情報が集まってくるのですが、
この島皮質というのは大きくは後ろと前の部分に分けることができ、
引用元:Harve Shanmugam Virupaksha, Volume and Asymmetry Abnormalities of Insula in Antipsychotic-Naive Schizophrenia: A 3-Tesla Magnetic Resonance Imaging Study
後部島皮質は様々な情報の中でも内臓感覚に関わる内受容感覚を感受し、
その情報を前帯状皮質と呼ばれる領域へつなげることが知られています。
まとめ
いろいろと長くなりましたが、これをまとめると
運動主体感(自分が自分の意思で動いている)にしても自己主体感(今、私がここにある)という感覚にしても
そのベースになるのは実際に予測したとおりになったかどうかという感覚であり、
予測したとおりであれば、自分は自分だよねという感覚が生まれ、予測から外れれば自分が自分ではないように感じ、
脳の実際の働きで言えば、前部島皮質が大事になってくるだろうということになります。
おって前部島皮質のことをまとめて行きたいと思います。
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