では幸せだったかというとそういうわけではない。
世の中に不幸偏差値のようなものがあればMARCHくらいのレベルだったのではないだろうか。ずば抜けて不幸な訳では無いがそこそこハイレベルな不幸である。けれども涙に暮れた人生だった、というわけでもない。
それはなぜだろうか?
実は涙というのは安心できる環境でなければ流れないものだと考えられている。
もう少し端的に言えば、戦っているときは泣く余裕などない。
地べたを這うような事態を思い出して泣くことはあるかもしれないが、地べたを這っているその最中には決して泣けるような余裕はない。交感神経がガンガンに働いて「戦うか逃げるか」に追い詰められている最中に、人は泣けないのだ。
運良く安全基地に逃げ込むことができて、気持ちにちょっと余裕が出てくれば、辛い事態を思い出して泣くこともできるかもしれない。
しかし私の人生は追い立てられてばかりで余裕のある人生ではなかった。それゆえヒトより泣く機会が少なかったのだと思う。あるいは安全基地に逃げ込むことができたとしても、思い出したくない記憶が多く、そのせいで泣く機会も少なかったのかもしれない。
私達が泣くことができるのは安心を感じるからである。
刑事や管理職は、相手を追い詰め、一転優しくすることで相手の涙をコントロールすることがある。結局、泣くためには安心感が必要なのである。
つまり私はそこそこ不幸であり、安心感のある時間が比較的少なかった人生だとも言える。それゆえ泣くことが少なかったのかもしれない。
ちなみに
「私は泣いたことがない♪」
から始まる曲のサビは
「いつか恋人に会えたとき
私の世界が変わるとき
わたし泣いたりするんじゃないかと感じてる」
でもある。
誤解がないようにいっておけば、人生の後半4分の1くらいは多少は涙を流す頻度も増えたような気がする。喜ばしいことだ。
泣ける人生を送りたい。