イメージの神経学的基盤
私達人間は内省的動物です。
見たもの聞いたものをそのまま知覚するだけでなく、目を閉じても耳をふさいでも脳の中で何かしらの情報を作り上げ感じることが出来ます。
こういった心的機能は「イメージ」という言葉で言い表されますが、果たして脳の中でイメージと実際の知覚というのはどのような関係にあるのでしょうか。
今日取り上げる論文は、イメージと知覚の関係についてなされた神経心理学的研究のレビュー論文になります。
この論文によると、何かをイメージしている時には、あたかも実際に知覚しているような脳活動が引き起こされることが述べられています。
何かを見ている時には視覚処理に関わる背側視覚経路や腹側視覚経路の活動が賦活されること、
また半側空間無視でみられるように、これらの経路の損傷で視知覚に障害がある場合、何かをイメージする時にも実際の視知覚障害と類似した障害が起こりうること、
またイメージと知覚における類似した脳活動は聴覚イメージ課題や運動イメージ課題、感情惹起課題でも認められることが述べられています。
視知覚もイメージも「意識」ということでくくることができると思うのですが、
はたして「非知覚的」な意識というものがあるのかなと考えました。
参考URL :Neural foundations of imagery
【要旨】
メンタルイメージは、最近まで、哲学と認知心理学の範囲内にあった。 哲学も認知心理学もともにイメージについて重要な疑問を嘆かてきたが、これに対する本質的な解答はいまだされていない。認知神経心理学の発達に伴い、これらの疑問は追跡可能なものになってきている。神経画像研究は他の方法(脳損傷患者を対象にした研究や経頭蓋磁気刺激など)と結びつき、イメージは知覚や運動コントロールなど他のメカニズムによる活動を引き出すことが示している。この基本的なプロセスが密接な関係があるゆえに、イメージはいまや”高次”の認知機能として理解されつつある。
コメント
何かのツイートで学問を修めるためには上から言われたことを素直に信じる権威主義的な素養が必要だというものがあった。
その意味でいうと私は学問を修める素養がまったくない。
人から言われたこと、読んだこと、聞いたことは聞くには聞くが、保留にとどめ、実際に自分の体で体験したことしか信じられない。
アフォーダンスの概念を考案したギブソンが、第二次世界大戦中、空軍のパイロットの視野を研究していたという話を聞けば、ゲームセンターにいって飛行機シミュレーターゲームに乗るまで信じないような、そんな感じだ。
意識についても興味がある。
いろんな仮説はあり、いろいろ読んだけど本当のところはわからない。
そういうわけで、音響装置を使って心身離脱状態を引き出し、時間と空間を超えて意識を自由にするというヘミシンクというものを試したことがある。
ちょうど仕事を変える時、家族旅行も兼ねて熊本まで飛んで3泊4日でどんなものか試したことがある。
布団に潜り、目を閉じて、特殊音響を聞き、イメージトリップするのだけど、確かにそれなりにリアルなイメージが湧き上がった。
かといって本当に意識が体と完全に独立した存在だと信じるほどにはリアルに感じられなかった。
「信じる」とはなんだろうか。
のっぺらぼうを見て家に帰ってきて、振り向いた妻を見たら妻ものっぺらぼうだったという怪談でもないけれども
私達が信じる世界は信じていることの総体であって(妻は浮気はしない、自分ができることは他人もできる、自分の子供は悪いことをしない、自国民は基本的に善良である)、
往々にして信じていることは裏切られることが多い(信じていたことが裏切られた場合は自分の信念を否定するか、現実の世界を否定するかの二つに一つだけど、私も含め往々にしてヒトは現実の世界の方を否定するのも興味深い、現実を否定するほうが認知コストがきっと低くすむからだろうか)。
どんな自明のことであっても、それは単に信じているだけで、その基盤はただ、信じているという脆い感覚に過ぎない。
意識というのは、世界というのは、現実というのは、本当はただのファンタジーなんじゃないかなと思ったり(信じたり)です。