あなたの患者さんは見るだけ、聞くだけ、動くだけではない
私達人間というのは生まれてから死ぬまで絶えず何かに向かって動き続けようとする存在です。
赤ん坊であればミルクを求めて乳首を探索し
ハイハイできるようになれば、後追い行動に見られるように保護者を探索し、
長じて目に見えないものの価値を信じるようになれば、地位や金銭、愛情、安心というものを探索します。
確かに私達の目や耳や鼻は様々な情報を認知し、私達の手や足は上下左右に動きますが、それだけでは私達人間のあり方を説明することはできません。
私達は常に何らかの意図を持っており、そこに向かって体や脳を活用します。
日本語であれば、見る、聞く、動くですが、
英語であればsee, hear, moveと
look, listen, exploreのような違いがあります。
前者と違って後者の単語は何らかの意図を持って見る、聞く、動く(探索する)を意味します。
今日取り上げる論文は、半側空間無視と意図を含む認知行動メカニズムの関係について述べたものです。
この図のように私達の認知や注意というのは大脳皮質によるトップダウン的制御と脳幹網様体によるボトムアップ制御を受けていることが示されているのですが
半側空間無視ではこれらの調整がうまく機能しないのではないかということ、
また半側空間無視は単にseeing, hearing, moving の障害ではなく、
looking, listening, exploring の障害であるということが述べられています。
ことばというのは奥が深いなと思いました。
ポイント
私達の認知注意機能は何かを探索するために存在する。
私達が認知するのは抹消の感覚入力レベルの情報ではなく、内部化された表現のレベルである。
大脳皮質では後部頭頂葉、前頭眼野、帯状回、皮質下では脳幹網様体が関わっており、半側空間無視ではこれらのネットワークが機能不全を起こしていると考える。
補足コメント
最近2歳を少し回った長女のトイレトレーニングをしている。
うまくいくときもあれば行かない時もあり、最近の打率は3割ほどか、それでも最近は尿意、便意というものを意識できてきている感じがある。
尿意、便意を感じればトイレを探索し、
お腹が減ればお菓子の置いてある棚を覗き込み、
悲しくなったり、寂しくなったりすると親を探してひっついたり。
基本的に2才児がやっていることも大人がやっていることも大きくは変わらないのだろう。
体内の恒常性を維持するために何らかの不快感を生じさせ、何かを探索して、何かを満たそうとする。
たとえ病気と言われる状態や行動であっても、それは体と心が恒常性を保とうとするがゆえの精一杯の振る舞いなのかなと思ったりします。
私達は数十億年前から綿綿と続く、生存を希求する生き物の末裔であり、
それがどんなスペックであろうと、皆必死で生きようとする生き物なのだなと思います(なので、わたしは人の振る舞いをそれがどんなものであれ基本的には否定はしません)。
今日も、生きましょう。