なぜあなたの脳は我慢出来ないのか?遅延報酬の脳科学
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はじめに

マシュマロ実験という有名な実験がある。

これは小さな子供にマシュマロが1個乗ったお皿を見せて、「15分食べずに我慢できたら2個あげるよ」といった後、どのような行動をするかを調べるものである。興味深いことに、このマシュマロ実験で15分我慢できた子は、高校になった時の成績も良好で、中年になった時の健康状態や経済状態も良かったことが報告されている。

 

マシュマロ・テスト:成功する子・しない子

ウォルター・ ミシェル (著), 柴田 裕之 (翻訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房

 

子どもがマシュマロを我慢出来ないのを笑うのは簡単だが、大人のやってることもさほど変わらない。寿命を縮めるのが分かっていてタバコを吸ったり、目の前の仕事に追われて家庭を蔑ろにするのはマシュマロよりもたちが悪い。

しかし、なぜ私たちは長い目で見たとき大きな利益があると分かっているのに、目先の利益を取ってしまうのだろうか。今回の記事ではその仕組について考えてみたい。

遅延割引とは?

大人にしても子どもにしても、後でもらえるご褒美よりも目先のご褒美に目が向きやすい。

言い方を変えると、将来もらえる価値というのは、今もらえる価値よりも割り引かれて感じられる。例えば同じ1万円であっても、今すぐもらえる場合と、半年後に貰える場合、3年後にもらえる場合では感じ方がだいぶ違う。私自身で考えれば、半年後の1万円は7000円、3年後のそれは3000円程度に感じてしまう。

このような心理は、行動経済学で遅延割引と呼ばれ、ある種の関数で示されることが分かっている。

 

 

 

 

 

 

 

そして、上の図のカーブは個人差があることも分かっている。例えば、薬物依存症やギャンブル依存症では、時間割引のカーブがきつくなっており、価値の目減りも急激なものになることが知られている。その結果、未来に得られる価値は通常以上に少なく感じられ、未来のために頑張るという気持ちも少なくなってしまうのだ。

しかし、なぜ私達の脳はこのような値引きをしてしまうのだろうか。

進化心理学的には、これは太古の昔のサバイバル環境が影響しているのではないかと考えられている。現在であれば、今日お店に果物は、明日も来月も置いてある可能性が高いが、太古の昔はそうとはいかない。道で果物を見つけたとしても、それが明日まであるかは分からないし、死肉を見つけたとしても、すぐに食べないと明日には他の動物に食べられてしまうだろう。

そのような環境では、未来の価値を割り引くことで生き延びる確率が高まることになる。そのような背景があって、私達の脳は未来の価値を低く見積もるようにできているのではないかと考えられている。

遅延割引に関わる心と脳の仕組み

いくつかの研究から、遅延割引がどのようにして起こるかが研究されている。

大きな枠組みで言えば、以下の仕組みが脳の中でたち起こっているのではないかと考えられている。

まず第1段階はご褒美がどのようなものかを感覚する段階である。目の前の果物を見たり、コカ・コーラのシュワシュワした音を認識する段階がこれに当たる。このときには、脳の中でも視覚や聴覚に関わる領域が活動する。

続く第2段階では、ご褒美の種類がどのようなものかが処理される。バナナであれば、甘いという快感、コカ・コーラであれば、喉への刺激という快感が思い出される。これには記憶に関わる海馬などが関わる。

第3段階では、ご褒美の価値付けが行われる。例えばバナナであれば、バナナの甘さが、今の自分にとってどれほど大事かが計算される。これには脳の中でも報酬系と呼ばれる部分が関わっている。

そして第4段階では今ここにない価値を想像することになる。すなわち未来の価値である。目の前にあるのが青いバナナだったら、熟れた時期の黄色いバナナの価値を想像することがこれにあたる。この未来の妄想には、頭頂葉や島皮質、海馬などが関わっている。

最後の第5段階では、価値を比べて、どれを選ぶのかが決定される。今目の前にある青いバナナを取るのか、あるいは1週間後の黄色いバナナを取るのかを決めることになる。ここに関わるのは前頭前野を中心とした価値判断に関わる脳領域である。

このように遅延割引には脳の様々な領域が関わっている。そして、これらシステムのどこかが違えば、遅延割引の程度も変わってくることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

遅延割引に関わる要因

遅延割引の程度は個人差があるが、これにはいくつかの要因が関係している。

一つは知能の高さである。一般に知能が高いほど、遅延割引の程度が低いことが報告されている。つまり知能が高いほど、我慢ができるということになる。実際、中年男女を対象にした研究では、遅延割引が低いほど資産も多いことを示した研究もある。

もう一つは年齢である。一般に若年者と高齢者は遅延割引が大きくなり、中年者では遅延割引が小さくなることが分かっている。ビジネスの場でも中年期が一番脂が乗っているとも言われるが、遅延割引だけで考えると、この時期に最も賢い判断ができるということになる。

また精神疾患も遅延割引に大きな影響を与える。特にアルコール依存症や薬物依存、ギャンブル依存では遅延割引が非常に大きくなる傾向がある。そしてアルコールや薬物そのものが遅延割引を押しあげる働きもあるため、依存症では悪循環的に遅延割引が大きくなることが考えられている。

まとめ

このように私たちは未来の価値を割り引いて感じる傾向があるが、これには様々な脳領域が関係している。このような仕組みを考えたとき、遅延割引を調整するために何ができるだろうか。

一つは未来をはっきりと想像することだろう。壁に目標を貼ったり、目標を達成した人と会えば、未来をよりイメージしやすくなる。未来を可視化することで遅延割引を小さくすることができるだろう。

もう一つはストレスを減らして報酬系の働きを整えることになる。報酬系は欲望をコントロールする仕組みだが、ストレスが大きくなると、しばしば誤作動を起こす。自営業であればキャッシュに余裕をもたせたり、大事な意思決定は空腹なときよりも満腹になった時に行うことで、報酬系の誤作動を減らせるかもしれない。

そして最後の一つは、時間を小さく区切ることであろう。お酒をやめようとする人であれば、一生酒をやめようと意思するよりも、「今日一日だけ」お酒を辞めることを意思することで、遅延割引のトラップを通過できるかもしれない。

とはいえ、遠い未来だけを意識して生きるのも味気がない。人間、いつまで生きられるかわかないのもまた事実である。そして、老いた頃に今したいことができるかどうかもわからない。また、欲望は遷り変わる。今欲しい物が、未来も欲しいと感じる保証はない。若いうちにやっておけばよかったというのは、よく聞くセリフだが、今やりたいことは今やっておいたほうがいいことも、数多くあるのではないだろうか。

愚かすぎても幸せにはなれないが、賢すぎても幸せにはなれない。程々の愚かさを胸に抱きしめて、その人生を充実させたいものである。

 

【参考文献】

Frost, R., & McNaughton, N. (2017). The neural basis of delay discounting: A review and preliminary model. Neuroscience and biobehavioral reviews79, 48–65. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2017.04.022

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