目次
はじめに
意識ってなんだろうとぼんやりと考えることがある。
嬉しかったり、悲しかったり、何かを企んだりと、消えては現れるその意識である。この意識とは一体どのようなものなのか。
哲学の本をめくると、そこには志向性と書かれてある。どんな意識であれ、向きがあるというのだ。りんごを見ているときには、意識はりんごの方を向いているし、失恋で悲しいときには、意識は過去を向いている。意識には必ず方向性がある。
しかし、これは本当なのだろうか。世の中には方向性を持たない心というものものあるのではないだろうか。例えば、鬱病の時の苦しみだ。
鬱に悩んだ人の話を聞くと、無色透明の苦しさが身体を覆って身動きが取れなくっていた、という。何かが苦しいわけではない。ただ、絶対的に苦しい。無色透明で香りもない、蒸留されたピュアな苦しみが鬱では生じるのだと。
また高齢者や精神疾患患者に見られる帰宅願望もこれにあたるかもしれない。帰宅願望が強くなると、たとえ今いる場所が自宅であっても「帰りたい」という気持ちだけが強くなり、どこかへ帰りたくなってしまうのだと。これも方向性を持たない欲求と言えるかもしれない。
今回、欲望とはなにかということを調べていて、欲望には無色透明な要素があることを知った。今回は、そのへんの仕組について考えてみたい。
欲求の2つの要素
欲望は2つの要素に分解できる。
一つは「好きだ!」という要素である。うまいものを食べれば嬉しいし、好きな人といっしょにいても楽しい。欲求の対象となるものを得た時には、なにかしらの快感を感じる。そして、脳の中にはこの快感を感じる仕組みがある。
もう一つは「欲しい!」という要素である。うまいものを食べたい、好きな人に会いたいという欲求の部分である。言い換えれば「渇望」である。そしてこの渇望は、ちょっとした手がかりで引き起こされる。香ばしい匂いに誘われて焼肉屋さんに入ったり、好きな人の香水の匂いがすると会いたくなったりするようなものだ。
ちなみにこの「欲しい!」という気持ちは脳の中でドーパミンがどれだけ出ることで成長する。そして、このドーパミンはある出来事が期待値を超えることで分泌される。思っていたよりも楽しい、思っていたよりも美味しいなどである。つまりギャップが大きければ大きいほどドーパミンが分泌される。絶対的な美味しさや気持ちよさに反応するわけではない。大事なのはギャップである。そしてこのギャップが「欲しい!」をどんどん強めていくことになる。
多くの場合、「好きだ!」と「欲しい!」は同時に生じるが、時にはこの2つが乖離してしまうこともある。例えば薬物依存症や性依存症である。これらのケースでは渇望だけが強くなっていて、必ずしも快感があるわけではない。身近なところではSNS依存も同様である。
この辺の脳の仕組みについては以下の記事を参考にしてほしい。
「好き!」と「欲しい!」を調べる方法
動物実験では、「好きだ!」と「欲しい!」が別々に動いていることも確かめられている。例えば、ドーパミンの働きを弱めれば「欲しい!」という気持ちを弱くなり、「好きだ!」に関わる脳活動を抑えれば快感を感じにくくなったりである。
とはいえ、人間では倫理上、同じような実験をすることが出来ない。では、どのようにして研究者は「好きだ!」や「欲しい!」を調べているのだろうか。
一つは顔の表情を詳しく調べることで「好きだ!」を見つけようとしている。人間、嫌なことがあると眉間にシワが寄ったり、楽しいことがあると口角が上がったりする。このような仕組みを利用して、人間の感情を把握する方法がある。例えば、好きな飲物を飲ませたときの口角の上がり具合で「好きだ!」を判定することが出来る。
もう一つは脳波を使った方法だ。人間の脳には左右差があり、左側はポジティブな感情に、右側はネガティブな感情と関連している。そのため、何かを「欲しい!」と思った時には左側が右側よりも強く働き、「嫌だ!」と思った時にはその逆の反応が起こる。この反応を利用して、被験者がどれほど「欲しい!」と思っているかを調べる方法がある。
さらに一つは無意識的な反応を利用する方法である。人間、無意識のうちに欲しいものに対する反応は早くなり、欲しくないものに対する反応は鈍くなる(駅前で好きな人と待ち合わせする時のことを思い出してほしい)。この反応を利用して、どれだけ被験者がある対象を欲しているかを調べることが出来る。
とはいえ、これらの方法にも問題もある。厳密に、それが「好き!」なのか「欲しい!」のか区別が出来ない点である。アンケートなども使って主観的な感情を問いただすことも出来るが、それが本心なのかどうかを確かめることは出来ない。
愚かな追求行動と賢い追求行動
また人間にはパブロフの犬のような愚かな欲望と、賢者のように理詰めで動く合理的な欲望がある。
下の図を見てほしい。
(Pool et al., 2016, fig. 4を参考に筆者作成)
(Pool et al., 2016, fig. 4)
わかりやすく考えるために、SNS依存症を例にとって考えてみよう。なにか新しいSNSを始めて、何かをポストする。すると思いの外、「いいね!」がついて驚く(ギャップが生じる)。これを繰り返すうちに、脳の中の「欲しい!」は強くなっていって、SNSの通知音を聞いただけでアプリを開かずにはいられなくなってしまう。「もっと、もっと!」が私達を駆り立てる。これが「欲しい!」に基づいた報酬追求行動である。
それとは別にSNSで、重要な情報を得られたことがあったとする。例えば、地震や災害が起こったときの被災地情報などである。このような情報を得たことで快楽(ホッとした感情)が生じるが、これは頭の中に記憶されることになる。そして再度、ホッとしたい時(地震が起こった時)、目標思考的にSNSアプリを立ち上げる。これが「好きだ!」に基づく報酬追求行動である。
「欲しい!」に基づいた報酬追求行動を作り上げるのは、色や形のない無色透明な情報、ギャップである。
それに対して目標思考的な報酬追求行動を引き起こすのは、色や形がある具体的な情報である。
薬物依存症やギャンブル依存症では、「欲しい!」に基づいた報酬追求行動であると言われているが、これは「ギャップ」という無色透明な感情で作り上げられた欲求といっていいかもしれない。
まとめ
このように欲望というのはなかなか一筋縄ではいかないことが分かる。脳の仕組みで言えば、「欲しい!」と「好きだ!」に分けられるし、そのそれぞれの心が私達を行動に駆り立てている。そしてどちらかというと「好きだ!」の方で立ち上がる追求行動のほうが理性が聞いている分、ハズレも引きにくい印象も受ける。
とはいえ、「欲しい!」に基づいた、鼻息の荒い行動もまた人生に妙味を与える。身を破滅に招かない程度に、上手に欲望と戯れたいものである。
【参考文献】
Pool, E., Sennwald, V., Delplanque, S., Brosch, T., & Sander, D. (2016). Measuring wanting and liking from animals to humans: A systematic review. Neuroscience and biobehavioral reviews, 63, 124–142. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2016.01.006