目次
はじめに
地球上には様々の生き物がいますが、人間という生き物は一風変わっています。この生き物は、言葉を話したり歌ったりすることができますが、「演じる」という不思議な能力も持っています。しかし私達が何かを演じている時には脳の中で何が起こっているのでしょうか。今回の記事では、演技に関わる脳の仕組みについて紹介します。
心の理論
舞台に上がって演技を行う時には役になりきる必要があります。しかし役になりきるためにはその気持ちをよく理解する必要があります。性格や行動パターン、考え方などを理解する必要がありますが、このような理解の在り方は心理学的には「心の理論」,あるいはメンタライジングと呼ばれています。これは他者の心を理詰めで理解するような能力で、コミュニケーション能力にも大きく影響してきます。
「心の理論」に関わる脳領域としては右側頭頭頂接合部があります。右側頭頭頂接合部は様々な感覚情報が集約されて身体的な自己意識が生じることに関係している領域です。ちなみにこの右側頭頭頂接合部に刺激を与えることで体外離脱経験が引き起こされることも報告されています(Blanke et al.,2005)。
共感
私達が人の気持ちを理解するのは何も理詰めの推理だけではありません。泣いている人の顔を見れば悲しくなるし、笑っている人の顔を見れば楽しくなります。このような心の変化は共感と呼ばれており、演技の技量へ影響すると考えられています。
共感に関わる脳の仕組みとしてミラーニューロンネットワークがあります。このネットワークは様々な領域によって構成されていますが、その中の一つに前帯状皮質があります。この領域は自分が苦しいときにも他人が苦しいのを見て苦しみを感じるときにも同じく活動することが報告されています(Singer et al., 2004)
二重意識
演技をしている時には2つの意識が立ち上がると言われています。一つは役柄としての意識で、もう一つは演じている自分を見つめている意識で、心理学的には二重意識と呼ばれています。この二重意識があるおかげで演じながらもその役柄をコントロールすることができるようです。
脳の中では、楔前部と呼ばれる領域がこの二重意識に関係しているのではないかと考えられています。この領域は注意のコントロールに関係する領域なのですが、演技している時には楔前部の活動が増加することを示した研究もあります(Brown et al., 2019)。これに加えて、演じている時には自分が自分である感覚が薄れることもよく言われています。自分が自分である感覚は自己主体感とも言われますが、自己主体間に関わる内側前頭前野の活動が演技をする時に大きく低下することが報告されています(Brown et al., 2019)。またこの内側前頭前野は自分の名前が呼ばれた時に脳活動が増加するのですが、演技している時にはそのような反応も低下することも報告されています(Greaves et al., 2022)。
情動調節
演技では自分の感情を調整することが求められます。脳の中で感情の調整に関わる領域としては、前部島皮質や内側前頭前野があります。島皮質は、嬉しい、苦しい、楽しい、あったかい、といった情動的な感覚に関わる領域ですが、泣いて下さい、笑って下さいというような課題では、この前部島皮質の活動が増加することが報告されています(Ochsner & Gross, 2005 )。
教育的効果
このように演技は幅広い脳領域の活動を引き起こしますが、演技訓練で教育効果がもたらされることも報告されています。例えば、6歳の子供に6週間演技のレッスンを行うことで、心の理論に関わる能力が高まったことも報告されていますし、コミュニケーションに困難を抱える自閉症スペクトラム障害児に演技のレッスンを行う取り組みも数多く行われています(McDonald et al., 2020)。また俳優は一般人よりも心の理論や共感に関わる能力が高いことも報告されています。演技においては心の理論や共感能力に関わる脳の活動が引き起こされますが、このことがコミュニケーション能力の改善に繋がっているのではないかと考えられています。
まとめ
では、ここまでの内容をまとめてみましょう。
・演技に関わる心の機能としては、心の理論や共感、二重意識などがある。
・右側頭頭頂接合部や前帯状皮質、島皮質、楔前部などの脳領域が関わっている。
・演技訓練でコミュニケーション能力が高まる可能性がある。
人間誰しも役柄を与えられて筋書きに沿った振る舞いが求めら得るという点では舞台も実社会も大きな違いがないのかもしれません。良い幕引きにつなげるためにも、多少演技の練習をしても良いのかなと思いました。
【参考文献】
Blanke, O., Mohr, C., Michel, C. M., Pascual-Leone, A., Brugger, P., Seeck, M., Landis, T., & Thut, G. (2005). Linking Out-of-Body Experience and Self Processing to Mental Own-Body Imagery at the Temporoparietal Junction. The Journal of Neuroscience, 25(3), 550–557. https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.2612-04.2005
Brown, S., Cockett, P., & Yuan, Y. (2019). The neuroscience of Romeo and Juliet: an fMRI study of acting. Royal Society open science, 6(3), 181908. https://doi.org/10.1098/rsos.181908
McDonald, B., Goldstein, T. R., & Kanske, P. (2020). Could Acting Training Improve Social Cognition and Emotional Control?. Frontiers in human neuroscience, 14, 348. https://doi.org/10.3389/fnhum.2020.00348
Ochsner, K. N., & Gross, J. J. (2005). The cognitive control of emotion. Trends in cognitive sciences, 9(5), 242–249. https://doi.org/10.1016/j.tics.2005.03.010
Singer, T., Seymour, B., O’Doherty, J., Kaube, H., Dolan, R. J., & Frith, C. D. (2004). Empathy for pain involves the affective but not sensory components of pain. Science, 303(5661), 1157–1162. https://doi.org/10.1126/science.1093535
Greaves, D. A., Pinti, P., Din, S., Hickson, R., Diao, M., Lange, C., Khurana, P., Hunter, K., Tachtsidis, I., & Hamilton, A. F. C. (2022). Exploring Theater Neuroscience: Using Wearable Functional Near-infrared Spectroscopy to Measure the Sense of Self and Interpersonal Coordination in Professional Actors. Journal of cognitive neuroscience, 34(12), 2215–2236. https://doi.org/10.1162/jocn_a_01912