
はじめに
私達は自分たちが思っているほど優しい人間ではない。
確かに他の動物に比べればいくらか優しい面があるかもしれない。困っている人がいれば手を差し伸べ、仲間のために身を捨てて尽くす人もいるだろう。
しかしである。多くの場合、その優しさは条件付きである。
人はだれにでも優しくなれるわけではない。身内に対して優しい人であっても、敵や裏切り者には容赦ないということはよくあるだろう。人は自分の遺伝子を残すためには身を捨てることができるが、そうでない場合はさほど優しくはない。
ところが世の中にはマザー・テレサやマハトマ・ガンジーのように、無条件の優しさを持つような人達もいる。このような人たちの心の傾向は心理学的には「自己超越性」とも呼ばれている。今回の記事では、この自己超越性について掘り下げて考えてみたい。
自己超越性とは?
自己超越性とは、私たちが自分という存在をより大きな何かの一部として感じ取れるような心の在り方のことである。
私たちの多くは、自分の体が自分の限界だと思い込んでいる。また、今を生きている自分が全てだと考えがちである。さらには、目に見える物質的な世界こそが現実のすべてだと信じ込んでいる。
しかし、時として人は不思議な経験をする。自分の体の境界が溶けていくような感覚や、過去から未来へと広がる大きな時間の流れの中に自分が存在していることを感じる瞬間がある。さらには、物質的な制約を超えて、より深い何かとつながっているような感覚を持つことがある。このように自分という存在を超えて広がっていく意識の在り方を、心理学では自己超越性と呼んでいる。
この自己超越性については様々な心理学者が考察を繰り広げている。
その中でも特に注目されているのが、人間の欲求を5段階に分けて説明したアブラハム・マズローの研究である。マズローは、人生の最後の時期に、それまでの理論を大きく発展させる発見をした。それは、自己実現を達成した人々の中に、明らかに異なる二つのタイプが存在するということだった。
彼の理論によれば、人間は低次の欲望が満たされると高次の欲望に登っていくとされている。
安全に暮らせるようになれば、誰かと仲良く生活したいと望み、それが叶えられれば、他者から認めてもらいたいと欲望する。さらにそれが満たされれば、自分が持つ能力を花開かせたいと望むようになる。このようにして人は自己実現に向かって欲求の階段を登っていくというのが彼の理論である。
しかし自己実現をした人の中には、さらに大きな欲望を持つ人達がいたのだ。
そのような人たちは、自分の社会を良くしたい、世界を平和な場所にしたいといった欲求を持っていた。そして、その多くの人たちは、何らかの超越的な経験を経て、自らをより大きなものと結びつけて考える傾向があったのだ。
このようなことから、マズローはその晩年、自己実現の上に来るものとして自己超越という概念を提唱した。
またアウシュビッツからの生還者で、『夜と霧』を執筆したヴィクトール・フランクルも自己超越性について論じている。マズローと異なる点は、自己実現と自己超越の関係性である。フランクルは、自らを超えた大きなものへ殉ずる行為が結果として自己実現を促すのではないかと論じている。
これとは別に、自己超越性を精神疾患との関連から捉える立場もある。人の心を生物学的に考察した精神科医、クロニンジャーは、自己超越性を「自己を宇宙全体の不可欠な一部として同一視する程度」とし、その生理学的基盤には精神疾患と共通する要素があると論じている。
いずれにせよ、自己超越性は自分のアイデンティティを大きく拡大し、考え、行動する傾向であると言えるのである。
自己超越性を測る尺度
自己超越性には個人差があるが、これを測る尺度もある。いくつか種類がある中から、本稿では臨床研究で使われることの多い成人自己超越目録(Adult Self-Transcendence Inventory;ASTI)を紹介する。(Le & Levenson, 2005)
これは一般的な成人の自己超越性を測定するために開発されたもので、以下の10項目について、「5年前と比べて」という時間的な比較を念頭に置いて、4段階(1=強く反対〜4=強く同意)で評価する。
続きについては以下の記事をご参考ください!