「mediVR神楽」の介入効果に関する考察①
“There are things known and things unknown and in between are the doors.”
「既知のものと未知のものがある。そしてその間にドアがあるんだ。」 ジム・モリソン(ドアーズ ボーカリスト)
科学者にとってあるまじきことなのかもしれないが、私はエビデンス以上に自分の目で見たこと、聞いたことに重きを置くようにしている。
アフォーダンスという概念がパイロットの視覚研究から生まれたと聞けば、ゲームセンターで飛行シミュレーションゲームをやるし、聴覚刺激によって体外離脱体験ができると聞けば阿蘇山脈までいって試したりもする。
私の欲望は世界を知ることであり、世界を知ることとは、この自分の体を使って世界を探索することでもある。
世界を知りたいという欲望に突き動かされるうちに、いつしか医学文献リサーチ業のような仕事におさまったが、先ごろ興味深い案件を頂いた。
バーチャルリアリティを使った医療機器で失調症状に改善がみられるというものである。製品の名前は「mediVR神楽(かぐら)」という。
早速連絡を取って責任者の方とお話をさせていただいた。開発の経緯やその介入効果について動画を見せていただいたが、正直信じ切れるところまではいかなかった。
失調症状というのは非常に手ごわく、正直に言えば運動療法を行ってもしっかりとした効果を得ることが非常に難しい症状だからだ。
確かに動画を見ると介入の前後で失調症状に改善が見られる。しかし自分の目で見たわけではないし、たまたま効果があったケースだけを見せられたという可能性もある。
ましてや書き物の仕事である。自分の信じられないものは紹介することはできない。結果、責任感と好奇心の二つに突き動かされて、富山から遠路、大阪のとある病院での治療デモに参加させてもらうことにした。
ちなみにこのバーチャルリアリティを用いた医療器具「神楽」は、基本的には臨床現場でよく使われるリーチ訓練を参考にしたものである。
患者さんに輪投げやお手玉をとってもらうような、あの訓練である。もしそうであればそこにバーチャルリアリティをかませる必要がどこにあるだろうという疑問もあった。
そういった疑問もある中、デモを見学させてもらった。確かに介入の前後で失調症状が改善している。患者さんもよほど集中力を要するためなのか、10分ほどの介入でも汗びっしょりとなっている。上肢の機能テストでは確かに動作も正確かつ機敏になり、プレシェイピングの改善が見られていた。
またTUGにも改善が見られた。TUGでは介入前にはガチガチに固めていた眼球と頸部が、介入後には下肢体幹の動きと協調するように良い意味での緩みが出ていたのが印象的だった。動的バランスのよい指標となる立ち上がり動作もスムーズになっていた。
果たして「神楽」を用いた介入中に患者さんの頭の中で一体何が起こっていたのだろうか。
私がこの目で見て考えた機序は以下の4つである。
・リーチ訓練による前庭系を中心とした神経系の賦活
前庭系は耳の中にあるセンサーをもとに、眼球運動や四肢体幹の筋緊張をコントロールしてスムーズな運動を促すシステムである。目標に向かって重心を移動させてリーチする中で廃用的に使われていなかった前庭系への入力が増大したのではないか。
・リーチ訓練による背側視覚経路と高次運動野の賦活
視覚情報は大きくは2つある。一つは意味情報であり、もう一つは空間情報である。背側視覚経路は後者の空間情報処理に関わり、ボールを取る、コップに手をのばすという動作を円滑に行わせる働きがある。手を伸ばしながら対象物の形に合わせて手指を適度に開く無意識的な活動はプレシェイピングと呼ばれているが、プレシェイピングの改善には神楽による背側視覚経路の賦活が関わっているだろうか。
・「神楽」によって奥行き空間の認知に関わるシステムが賦活される。
「神楽」は患者さんの能力や疲労度、状態に合わせてリーチ対象の奥行きを調整できる。奥行き情報処理は背側視覚経路を構成するV5が関わり、このV5は前頭眼野とつながって眼球運動の調整に関わっている。また立ち上がりや歩行といった運動では重心を前に崩しながら姿勢を保持する動的バランスが必要になってくる。このような場面では前方に広がる奥行き空間の知覚が重要になる。「神楽」による介入により奥行き知覚に関わる神経系が賦活され、動的バランス能力の改善につながったのではないか。
・「神楽」の持つゲーミフィケーション的要素と認知負荷量
臨床場面でリーチ訓練をしていても、テニスのラリーをしているような集中力と疲労感を引き出すことまではなかなかない。しかしながら「神楽」はこれを容易に引き出す事ができる。ゲームのような感覚はドーパミンを介して脳全体を賦活し、運動学習を促進する。
全体を通して私の感じた印象は「神楽」はエスプレッソと似ているということである。リーチ訓練のコアになる部分を短時間に濃厚なショットとして提供することができる。もう一つは「閾値」を超えられるかどうかという観点である。水が沸点を超えて初めて気体になるように、何かが変わるときには閾値を超える必要がある。通常のリーチ訓練は理論的には運動機能の改善に有効な方法であるのだが、おそらく変化につながる「閾値」を超えることが難しい。しかし「神楽」はその独特の設計により「閾値」を比較的容易に越えることができるのではないか。
いろいろと考えられることはあるが、考えられる神経学的機序について文献を当たりながら検討していく。