目次
はじめに
人と人とのつながりは、私たちの生活に欠かせないものです。
最近では人工知能の発達により、一人でもたくさんのことができるようになりました。しかし、それだけでは心は満たされません。誰かと一緒に笑ったり、困ったときに支え合ったり、そんな温かい関係があってこそ、人生は豊かになっていくものです。
このように人と心を通わせることができるのは、私たちに「共感する力」が備わっているからです。相手の気持ちを理解し、その思いに寄り添える – それが共感です。
ただ、自閉症スペクトラム障害では、この共感することに難しさを感じることが多くなると言われています。
この記事では、共感がどのように脳の中で働いているのかを分かりやすく説明し、自閉症スペクトラム障害のある方の共感する力をサポートする方法について考えていきたいと思います。
共感とは?
共感には、大きく分けて「感情的共感」と「認知的共感」の2つがあるといわれています。1つ目の感情的共感とは、相手の感情が自分の中にも伝わってくるような体験です。たとえば、友達が泣いている姿を見ていると、自分まで悲しくなってしまうことはありませんか。これこそが感情的共感であり、まるで相手の気持ちがそのまま自分の中に流れ込んでくるような感覚が特徴です。
もう1つの認知的共感は、相手が置かれている状況を頭で理解する働きです。友達が落ち込んでいるとき、「あの出来事があったから、そう感じるのも当然だよね」と考えられるのは、この認知的共感のおかげです。どのような経緯でその感情が生まれたのかを論理的に想像し、納得することで、相手の思いをさらに深く理解できるのです。
実際のコミュニケーションでは、感情的共感と認知的共感の両方が互いに支え合っています。たとえば、大切な試験に落ちた友達を思いやるとき、まずは感情的共感で相手の悔しさに寄り添いながら、認知的共感を通して具体的にどんなサポートができるかを考えていくのです。このように2つの共感をバランスよくはたらかせることで、私たちは相手とより深い絆を築くことができます。
共感におけるSOMEモデル
近年、「自分(Self)」と「他者(Other)」の関係性を軸にして共感を捉え直す枠組みとして、「SOMEモデル(Self to Other Model of Empathy)」が注目を集めています(Bird & Viding、2014)。従来は、他者の行動を見たときに自分の脳内でも同様の活動が起こるとされる「ミラーニューロン」の働きこそが共感の鍵だと考えられがちでした。しかし、実際には図に示されるように、複数のシステムが協調してこそ真の“他者理解”が成立すると考えられるようになっています。
複数システムの相互連携
図の左側には、「社会的文脈」がインプットとして与えられる「状況理解システム」が示されています。これは、相手が置かれた環境や背景情報を把握し、その情報を整理する役割を担います。たとえば、相手がどんな目的でその行動をとったのか、そこに至る経緯は何か、といった理解がここで進められるのです。状況理解システムで処理された情報は、その隣にある「感情的手がかり分解システム」に送られ、より細かな感情要素や表情、声のトーンなどが分析されます。
一方、図の右側には「ミラーニューロンシステム」が配され、私たちが他者の動作や感情をあたかも自分のことのように“模倣”する働きを支えています。これは感情的共感の土台とも言えますが、共感全体を単独で説明できるわけではありません。なぜなら、感情を“伝染”として受け取るだけではなく、相手がどんな意図や感情をもっているのかを推察する「心の理論システム」も不可欠だからです。図の下部にある「心の理論システム」は、他者の思考や感情を“推論”し、理解する高次のプロセスを担います。
この「心の理論システム」と、オレンジ色の「感情表象システム」は表象システムとして位置づけられ、相手の心情や自分の感情を頭の中でイメージ・シミュレーションする役割を果たします。ここで注意が必要なのは、「自己/他者の切り替え」機能がうまく働かないと、自分の感情と他者の感情を混同し、相手の苦痛を自分のことのように強く感じすぎてしまうことです。図の左下に示される“自己と他者の切り替え”は、共感を円滑にするために重要なポイントの一つと考えられています。
共感におけるSOMEモデルと脳領域
SOMEモデル(Self to Other Model of Empathy)は、共感を複数のシステムの協調によって成立するプロセスとして説明します。このモデルに基づき、共感に関与する主要なシステムと、それぞれを担う脳領域について以下に詳しく示します。
- 状況理解システム(Situation Understanding System)
他者が置かれた環境や背景情報を把握し、そこから感情を推測する役割を担います(たとえば葬式という状況から「悲しみ」を推測するなど)。
- 関連する脳領域: 背内側前頭前野(DMPFC)、腹内側前頭前野(VMPFC)、側頭極(temporal poles)など。社会的スクリプトや文脈情報の処理に関与します。
- 感情的手がかり分類システム(Affective Cue Classification System)
他者の表情や声のトーンなど、感情を示す手がかりを認識・分類する低次元的処理を担います。- 関連する脳領域: 上側頭溝(STS)、下側頭皮質(inferior temporal cortex)、前頭眼窩皮質(OFC)など。また、ミラーニューロンシステムも感情的な模倣や反応を引き起こす際にこのシステムを通じて働きかけます。
- 心の理論システム(Theory of Mind System)
他者の意図や信念、感情状態を推論する高次認知プロセスを担い、特に認知的共感に深く関わります。- 関連する脳領域: 側頭頭頂接合部(TPJ)、内側前頭前野(MPFC)、楔前部(precuneus)など。他者の精神状態を推測して行動を計画する際に活性化します。
- 感情表象システム(Affective Representation System)
自己の感情状態を表象し、それを他者の感情としてタグ付けする働きを担います。自己と他者の感情を区別する上でも重要です。- 関連する脳領域: 前帯状皮質(ACC)や前部島皮質(anterior insula)など。感情的共鳴や内受容感覚(interoception)の処理に深く関与します。
- 自己-他者スイッチ(Self-Other Switch)
自己中心的な視点から他者中心的な視点へ切り替えるメカニズム。これが不十分だと、自己と他者の感情を混同したり、逆に共感が乏しくなる場合があります。- 関連する脳領域: 側頭頭頂接合部(TPJ)の関与が特に重要で、背内側前頭前野(DMPFC)も切り替えに寄与するとされています。
バランスをとる意義
複数の脳のシステムが互いに結びつき、情報を交換し合うことで、私たちは相手との適切な距離を保ちながら、その人の気持ちを理解し、共感することができます。ただし、自分と相手の感情を区別することが難しくなると、相手の感情に巻き込まれすぎて混乱してしまうことがあります。また、状況を理解したり相手の考えを推測したりするシステムが十分に働かないと、その人の真意や置かれた状況を理解できず、適切なサポートができなくなってしまいます。SOMEモデルでは、これらのシステムが互いに協力し合い、かつ自分と相手の感情をバランスよく区別できることが、スムーズな共感につながると考えられています。
自閉症スペクトラム障害との関連
従来は、自閉症スペクトラム障害における共感のむずかしさは「ミラーニューロンシステムの機能不全」として説明されることが多々ありました。しかし、SOMEモデルに基づけば、それだけでは捉えきれない面があるとわかります。たとえば、「自己と他者の切り替え」がうまくいかないことや、状況理解システム・感情的手がかり分解システム・心の理論システムのそれぞれが得意・不得意を持つことで、対人関係上の困難さが現れる可能性があるのです。
このように、SOMEモデルは共感を多面的・多層的にとらえる枠組みを提供してくれます。いわゆる「共感しにくい」という状況が生じる際、どのシステムがどの程度働いているのかを検討することで、より的確な支援やアプローチを考える手がかりになるでしょう。結果として、自閉症スペクトラム障害のある方への理解とサポートの幅も大きく広がり、個々人に合わせた共感支援策を構築していくことが可能になります。
SOMEモデルから考える自閉症スペクトラム障害での共感性への介入方法
SOMEモデルに基づくと、自閉症スペクトラム障害のある人への支援は、さまざまなアプローチを組み合わせることが大切だと考えられています(Baron-Cohen, 2009)。
「自己と他者の切り替え」能力を育むには、感情を言葉で表現する練習やソーシャルストーリーが役立ちます。例えば、自分の気持ちを日記のように書き留め、同じような場面で相手はどんな気持ちだったかを想像する練習を重ねることで、少しずつ相手の立場に立って考えられるようになっていきます(Frith, 2003)。
また、「状況理解システム」を高めるには、ロールプレイやグループ活動を通じて実践的に学ぶことが効果的です。さらに、相手の表情や声の調子を読み取る力を伸ばすために、感情認識プログラムや表情カードなども活用されています(Golan et al., 2006)。
このように複数の支援方法を組み合わせることで、これまでの単一的なアプローチから、より柔軟で総合的な支援が可能になります。SOMEモデルは、一人一人の特徴や得意分野に合わせた支援プログラムを組み立てる際の指針となってくれるのです(Baron-Cohen, 2009)。
まとめ
では、ここまでの内容をまとめてみましょう。
- 共感とは?
感情的共感(相手の感情が伝わってくる)と認知的共感(相手の状況を頭で理解する)の2つがあり、これらが協調することで深い対人関係が築かれる。 - SOMEモデルのポイント
共感は複数の脳内システム(状況理解、ミラーニューロン、心の理論など)が連動して成立し、自己と他者を適切に切り替えながら感情を共有するバランスが重要。 - 自閉症スペクトラム障害への支援
ミラーニューロン機能だけでなく、自己と他者の切り替えや認知的情報処理を強化する多面的なアプローチが効果的で、個々の特性に合わせた介入が可能になる。
ただし、これらの方法論がすべての人に当てはまるわけではありません。しあわせの処方箋は一人ひとり違うからです。私たちが「幸せとは何か」を考えるとき、それは世界と調和した関係を築くこと、ともいえるでしょう。共感性が幸福にとって十分条件である場合もあるかもしれませんが、必ずしも必要条件とは限りません。人のあり方は多種多様です。他者を理解する前にまず自分自身を知ることが、充実した人生を送るための重要なステップとなるのではないでしょうか。
【参考文献】
Baron-Cohen, S. (2009). Autism: The empathizing–systemizing (E-S) theory. Annals of the New York Academy of Sciences, 1156(1), 68–80.
https://doi.org/10.1111/j.1749-6632.2009.04467.x
Bird, G., & Viding, E. (2014). The self to other model of empathy: providing a new framework for understanding empathy impairments in psychopathy, autism, and alexithymia. Neuroscience and biobehavioral reviews, 47, 520–532. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2014.09.021
Frith, U. (2003). Autism: Explaining the enigma (2nd ed.). Blackwell.
Golan, O., Baron-Cohen, S., & Hill, J. (2006). The Cambridge Mindreading (CAM) Face–Voice Battery: Testing complex emotion recognition in adults with and without autism spectrum conditions. Journal of Autism and Developmental Disorders, 36(2), 169–183.
https://doi.org/10.1007/s10803-005-0057-y