脳損傷で視覚認識と触覚認識が乖離しうるのか?
私達人間は生まれたときから何かを認識する生き物です。
生まれ落ちた瞬間から乳児は母親の乳首を認識することで命をつなぎ、
野山を駆け回る少年はどこにカブトムシがいるのか素早く見つけ、
車の免許をとったばかりの若者は信号に目を配ることでどうにか安全に車を運転します。
このように私達が何をするにしてもこの認識機能というのが大事になってくるのですが、
この認識機能というのは何も視覚によるものだけではありません。
営業をするにしても歩行介助をするにしても相手の息遣いや体温、匂い、様々な感覚を総動員して私達の脳は目の前のものを認識しようとします。
しかしながら視覚とそれ以外の感覚で認識機能が乖離するということはありえるのでしょうか。
今日取り上げる論文は、視覚的認識機能とそれ以外の認識機能に乖離が見られた患者の症例紹介になります。
この患者は58歳の元パイロットで、2年前に脳梗塞となったあと、大きな後遺症を残さず、臨床検査上視力に問題がない男性なのですが、
様々な生活で使うような物品を、視覚提示、触覚提示、聴覚提示のそれぞれで示した場合、
視覚提示では認識できないような物品も触覚や聴覚では認識できたことが報告されています。
一般に視覚認識に関わる脳のシステムとして、空間情報の処理に関わる背側視覚経路と意味情報の処理に関わる腹側視覚経路が知られていますが、
このケースでは後者の腹側視覚経路に何らかの障害をきたし、視覚認識機能に問題が生じたのではないかということが述べられています。
私達は見ても触っても聞いても同じものを同じように認識できますが、これは随分精妙微細に設計された奇跡のようなシステムなのかなと思いました。
ポイント
視覚と視覚以外の認識機能に乖離が見られた症例の紹介論文
58歳で視力に臨床検査上問題がない脳梗塞後遺症の男性に、視覚、触覚、聴覚で様々な物体を示し、それがどのような物体であるかについて回答させた。
結果、視覚では認識できない物体も触覚や聴覚では回答することができた。
視覚認識には腹側視覚経路が関係しているが、この経路の損傷で視覚認識が障害されうることが考えられた。
参考URL:
Category specificity in object agnosia: preservation of sensorimotor experiences related to objects.
補足コメント
我が家に2歳2ヶ月の娘がいる。
女の子だからなのか、言葉を覚えるのが早い。
アオやアカ、キイロや桃、ぶどうなどいろんな言葉を覚えていく。
しかしながら認識というのは何なのだろうか。
私達は果物だけでなく、社会現象や性格特性にもいろんなナマエを与えてやまない。
昔あったフリーターやIT、オタクといった名前はどこかへ消え、AIや発達障害という言葉が現れてきた(これらの言葉もおそらく消えていくのだろう)。
私達は認識をする。世界に定規を当て、ハサミを入れ、バラバラにし、あれはアオ、これはAI、それは非正規雇用などなど。
しかし素粒子レベルで見れば、この身体もスケスケのホログラフィのようなもので、目の前のパソコンのディスプレイとなんの違いもないのかもしれず、
社会現象や性格のあれこれも、本当に分けられるかというとおそらくそんなことはなく、
目の前を吹く風を切り取って、それにナマエを無理無理当てるというのがヒトの認識の本態なんじゃないのかなという疑いを捨て得ない。
私達の脳は五感を通じて認識する。
空即是色、色即是空でもないのだけれども私達の認識は本質的にフィクションなんじゃないかなと思ったりです。