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なぜ「神楽」による介入でプレシェイピングの改善が見られたのか?
“An individual can make a change but a team can make a revolution.
「個人は違いを生むことができるが、チームは革命を起こすことができる」
アミット・カラントリ 作家
先日「神楽」によるデモを見せていただいた。
https://www.facebook.com/sinkeikagaku/posts/3540846172650218
「神楽」は基本的には臨床現場で行われるリーチ訓練をベースにしたもので、患者はゴーグルをかぶってゲーム感覚で訓練を行う。
引用:株式会社mediVRホームページより
デモの見学の中で様々なタイプの患者さんを見せてもらったが、介入の前後でプレシェイピングに改善が見られたケースが散見された。
プレシェイピングというのは、リーチ動作の中で、その手指を対象物の形に合うように開いていくものである。
引用:Different Evolutionary Origins for the Reach and the Grasp: An Explanation for Dual Visuomotor Channels in Primate Parietofrontal Cortex. FIGURE7
このプレシェイピングは把持動作の一部であり、リーチ動作とともに生じるものである。しかしながら私が見た限りでは「神楽」での訓練では何かを掴むという訓練は行ってはいない。基本的に患者に促されるのはリーチ動作であって把持動作ではない。
ではなぜ「神楽」によるリーチ訓練で、介入内容に含まれていないプレシェイピングが改善されたのだろうか。
今回の記事では、奥行き情報、立体視というところを中心にその理由について考察していく。
シナジーとは?
神経学的な考察の前に、一度シナジーという概念について触れておこう。
シナジーというのは、日本語で言う相乗効果であり、掛け合わせによって1+1が3になるような現象である。
私事で恐縮だが、最近音声入力で何でもできるグーグルネストハブという製品を購入した。これが実に便利で、もはやこれなしでは生活できない状態になっている。
何もしなくてもクラウドからは自動で家族写真がアップされ、音楽や動画も一言呟けばYOUTUBEで何でも流してくれて、わからないことを聞けばすぐに答えが返ってきて、空調を変えたければ一言つぶやくだけで事足りる。
クラウドや動画、検索エンジン、家電操作という一つ一つの技術はグーグルが強みを持つとはいえ、競合他社と圧倒的に違うものではないかもしれない。しかしこれらの強みを掛け合わせてワンストップで機能させることで圧倒的なプロダクトに仕上げている。
あるいは楽天のサービスを考えてみてもよい。銀行、旅行、通販、保険、証券、ポイントなどすべてをワンストップで扱えることで楽天は圧倒的な競争力を持っている。
こういった1+1を3以上にするようなシナジー効果であるが、結論から述べると、「神楽」の強みというのはシナジー効果によるものではないかというのが私の解釈である。以下、今回のテーマである立体視とプレシェイピングというところで考えてみよう。
立体視とプレシェイピング
「神楽」はバーチャルリアリティを用いたシステムであり、このバーチャルリアリティにはいくつか種類がある。
一つは平面的なバーチャルリアリティで、これは両眼に同じ視覚入力を与えるもので、市販のゲーム機器でも用いられるものである。もう一つは立体的なバーチャルリアリティで、これは両眼に異なる視覚入力を与えるものである。ちなみに「神楽」で使われている特殊なゴーグルは立体視を可能にする後者のタイプである。
では「神楽」で使われる立体的なバーチャルリアリティ訓練と市販のゲーム機器で見られるような平面的なバーチャルリアリティ訓練では脳の働きはどのように違っているのだろうか。
バーチャルリアリティの臨場感と脳活動
バーチャルリアリティに関わる脳活動を調べた研究を見てみると、その臨場感が高まるほど、背側視覚経路を始めとする脳の連結性が高まることが報告されており(Jäncke et al.2009)、平面的なバーチャルリアリティ訓練と立体的なバーチャルリアリティ訓練を比較した研究でも類似した結果が報告されている(Forlim et al. 2019)。
しかしながらこの背側視覚経路とはどのようなものなのだろうか?
背側視覚経路とは?
ではここで背側視覚経路について簡単に説明をしよう。
網膜から入った視覚情報の多くは後頭葉に届けられるが、ここから先は大きく二手に分かれて流れていく。
一つは側頭葉に抜けていく腹側視覚経路で、これは見たものが何を意味するかという意味情報の処理に関わる。
もう一つは頭頂葉へ抜けていく背側視覚経路で、これは見えたものがどこにあるかという空間情報の処理に関わる。
ではバーチャルリアリティの臨場感が高くなるほど、背側視覚経路の繋がりが強くなるというのは何を意味しているのだろうか。
私達の脳は視覚情報を処理してくれるが、これは何かを見て終わりというものではない。ボールを取ったり、ミカンに手を伸ばしたり、何かを見て何かをするという場合が圧倒的に多い。そのため空間情報処理に関わる背側視覚経路は運動システムと密接につながっている。
もう少し具体的に言えば、背側視覚経路は運動の準備や選択に関わる高次運動領域とつながっており、
このつながりによって、見たものに向かって手を伸ばしつつ指を開いていくことが可能となっている(Foggasi et al. 2001, Culham et al. 2003)。
過去の研究からバーチャルリアリティの臨場感が増すほど、背側視覚経路のつながりが強くなることが報告されているが、これは臨場感あふれる視覚情報によって、より強く運動準備システムが駆動されているからとも考えられている(Jäncke et al.2009)。
「神楽」のリーチ訓練によってプレシェイピングに改善が見られたのは、臨場感あふれる立体的な視覚情報によって背側視覚経路や高次運動野の活動が賦活されたからではないだろうか。
とはいえ、ここには疑問も残る。臨場感だけで考えるならば、リアルな環境の方が優れているからである。しかしながら実際のところ、リアルな環境でのリーチ訓練では「神楽」ほどの効果を出すのは難しい。ではなぜ「神楽」はリアルな環境以上に高い効果を出すことができるのだろうか。
ゲーミフィケーションによる学習効率の増大
これは私の推察ではあるが、これには「神楽」のエンターテイメント性が関係しているのではないだろうか。好きこそものの上手なれという言葉もあるが、一般にやっていて楽しいもの、面白いものというのは学習を加速させる効果がある。こういったことを学習に応用したのがゲーミフィケーションと呼ばれるものだが、このゲーミフィケーションを用いた訓練では、運動学習に関わる報酬系の活動が増加することも知られている。
「神楽」の訓練はゲーム感覚に溢れ、かつチャレンジングな課題設定機能で患者は夢中になって訓練に取り組んでいた。
このような状態では、報酬系によって駆動された強い運動意図のもと、脳卒中発症後使われることが少なかった運動関連領域が強く賦活され、そのことで短時間の介入であっても大きな変化を引き出せたのではないだろうか。
「神楽」によるシナジー効果仮説
これまでの記事で述べてきたように、「神楽」は様々な強みがある。
それは前庭系へのアプローチに優れ、
患者へのフィードバックに優れ、
認知負荷の設定に優れ、
立体的な臨場感に優れ、
エンターテイメント性に優れる点などである。
「神楽」はこういった設定に強みは持っているが、ひょっとしたらその一つ一つが必ずしも圧倒的ではないかもしれない。
しかしこれらの差異と強みをワンストップでまとめて提供することができるとしたら、そこにはグーグルのプロダクトのような圧倒的な機能を生み出すことが可能となるのではないだろうか。
リアルな環境の良いところと、バーチャルリアリティが持つ強み、この2つの良い部分を取り出し掛け合わせることに成功したことで、「神楽」は短時間であっても大きな効果を引き出すことができたのではないだろうか。
バーチャルリアリティは日進月歩の世界であるようなので、今後のさらなる「神楽」の機能向上に期待したい。
【参考文献】