目次
はじめに
私達は生まれながらにして平等を求める生き物だ。
子供は物心がつく頃から「ズルい」という言葉を使い始める。この傾向は大人になっても変わらない。会社員なら、同期が自分より少しでも高い給料をもらっていれば、我慢ならないだろう。誰かが抜け駆けして得をしていれば、妬みや批判の対象になることもある。
では、なぜ我々はこれほどまでに平等や公平さにこだわるのか。本稿では、この現象のメカニズムを脳科学の観点から探ってみたい。
「強い互恵性」の概念
人間には助け合う本能がある。しかし、これは他の動物と比べてかなり強いものだ。
人間は共同体のために身を捧げることさえある。自分の利益にならなくても懸命に働き、時には命を危険にさらすこともある。さらに、共同体の利益を脅かす存在があれば、自らの損失を顧みずに排除しようとする。「あいつはズルい」「あいつは許せない」と攻撃する行為は、時間も労力も費用もかかる。反撃されるリスクすらあるのに、人は不公平を感じると黙っていられないのだ。このように、自己犠牲を払ってでも共同体の存続や公平性を守ろうとする傾向を「強い互恵性」と呼ぶ。これは人間社会の根幹を支える重要な特性の一つだといえるだろう。
私達が公平性を好むのはなぜか?
我々が公平性を好むのは、公平性自体が脳内で「報酬」として認識されるからだと考えられている。動物にとっての報酬が木の実やウサギであるように、人間にとってはお金やケーキ、そして「公平」であることがご褒美として感じられるのだ。
ある研究では、最後通牒ゲームを用いて公平性に関する脳活動を調査している。このゲームは二人一組でお金を分配するもので、一人が分配役、もう一人が受け取り役となる。分配役が金額を決定し、受け取り役はそれを受け入れるか拒否するかを選択する。拒否した場合、両者とも一切の報酬を得られない。
この実験では以下の枠組みでお金の分配ゲーム(実際の分配役はコンピュータ)を行い、受け取り役がどのように感じるのか、またその時に脳がどのように活動するかを調べている。図を見てもらえば分かるように、提示される金額が同じであっても、それが公平な場合もあれば不公平な場合もある。
研究結果によると、 分配額よりも公平性に応じて幸福感が増大することが示された。さらに、公平に扱われたときには報酬に関わる脳領域(腹側線条体や前頭眼窩野など)の活動が増加することも明らかになった1)。つまり、我々の脳は公平性それ自体を報酬として認識しているのだ。不公平な分配は、受け取る絶対額に関わらず、報酬の損失として認識され、フラストレーションを引き起こす可能性がある。
さらに興味深いことに、別の研究では同じく最後通牒ゲームを使って、不公平な配分に対する処罰をしている時の脳活動を調査している。その結果、処罰行動を行っている際にも報酬系の活動が増加することが明らかになった2)。つまり、我々は不公平な行動に対する処罰そのものを報酬として感じているのだ。
不公平な行動に対する処罰行動は、時間も労力もかかるため、一見すると非合理的に思える。しかし、公平性が保たれることが報酬として認識されるのであれば、処罰行動は理にかなっているのかもしれない。
二種類の公平性の判断と脳領域
公平性の判断は二種類に分けられる。一つは自分に関わる公平性、もう一つは他人に関わる公平性だ。我々は自分の取り分が少ないことに腹を立てることもあれば、他人が不公平に扱われているのを見て憤慨することもある。
ある研究では、最後通牒ゲームを用いてこの違いを調査した。実験では、受け取り手が自分自身(Myself)、第三者(Third-Party)、そして無条件に受け取るだけ(Free Win)の三つの条件を設定した。
実験結果によると、自分が受け取る場合でも第三者が受け取る場合でも、不公平だと感じる際には左前部島皮質の活動が高まることが示された(下図A)。また、自分が受け取る条件では、内側前頭前野の活動も増加した(下図B))3)。
また別の研究では、同じく最後通牒ゲームで、不公平な分配であっても、あえて受け取る判断をするようなときには、内側前頭前野の活動が高まり、左前部島皮質の活動が低下することが示されている。これはある意味、不公平さを押し殺して(左前部島皮質の活動低下)、受け取れるかどうかの損得だけで(内側前頭前野の増加)判断しているというようにも考えられる。
これらの結果から示されるように、公平性それ自体を感じることには左前部島皮質が、自己の損得自体には内側前頭前野が関与している可能性がある。公平性に対する我々の反応は、脳の特定の領域と密接に関連しているのだ。このように、公平性への反応は単なる社会的な学習ではなく、我々の脳の構造や機能に深く根ざしたものであることが分かる。
まとめ
私達は公平であることを好み、不公平な行為に対しては時間も手間もかけて処罰することがある。このような傾向は「強い互恵性」と呼ばれているが、脳の中には公平性が守られることを喜びとして感じられる仕組みがあるようである。そう考えれば、真にリーズナブルな(理にかなった)判断とは、おそらく単なる数字の大きさでなく、そこに公平性があるかどうかも加味したものになるのだろう。
ヒトの脳の仕組みを考えた時、合理的な判断は時に不合理なものになる。生身のヒトを相手にしているということを忘れずに、判断していきたい。
【参考文献】
1)Tabibnia, G., Satpute, A. B., & Lieberman, M. D. (2008). The sunny side of fairness: preference for fairness activates reward circuitry (and disregarding unfairness activates self-control circuitry). Psychological science, 19(4), 339–347. https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.2008.02091.x
2)Strobel, A., Zimmermann, J., Schmitz, A., Reuter, M., Lis, S., Windmann, S., & Kirsch, P. (2011). Beyond revenge: neural and genetic bases of altruistic punishment. NeuroImage, 54(1), 671–680. https://doi.org/10.1016/j.neuroimage.2010.07.051
3)Corradi-Dell’Acqua, C., Civai, C., Rumiati, R. I., & Fink, G. R. (2013). Disentangling self- and fairness-related neural mechanisms involved in the ultimatum game: an fMRI study. Social cognitive and affective neuroscience, 8(4), 424–431. https://doi.org/10.1093/scan/nss014