自己超越性の脳科学:自他の境はどこにあるのか?
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はじめに

私たちは普段、自分という存在を当たり前のように意識しています。しかし、この「自分」とは実際何なのでしょうか。

多くの人は、自分を「今ここにいる身体と心」として認識しています。机や椅子といった物体や、周囲の人々とは明確に区別された、独立した存在としての「私」です。

ところが興味深いことに、時として私たちは、この個としての自己の感覚を超えて、より大きな何かとつながっているような体験をすることがあります。例えば宗教的な儀式や瞑想の最中に、そうした感覚を覚えた方も多いのではないでしょうか。

心理学では、このような体験を「自己超越性」と呼んでいます。研究によれば、自己超越性の高い人々には、利他的な性質や、文化や社会の枠を超えて世界に貢献しようとする志向性が見られることが分かっています。

本稿では、この不思議な「自己超越性」という現象について、脳科学の観点から探っていきたいと思います。

自己超越性とは

私たちの意識は、時として「自己」という枠組みを超えて広がることがあります。この現象を心理学では「自己超越性」と呼び、人間の精神性を理解する重要な概念として注目されてきました。

この自己超越性を理解するにあたって、大きく二つのアプローチがあります。

一つは、人間性心理学の視点です。

アブラハム・マズローやヴィクトール・フランクルは、自己超越性を人間的成長の最高段階として位置づけました。彼らの理論によれば、真に成熟した人格とは、個人の枠を超えて社会や世界と深くつながり、文化的制約を超えた普遍的な視野から利他的に行動するものとなります。その代表例として、マハトマ・ガンジーやマザー・テレサを挙げることができるでしょう。

もう一つは、より科学的・臨床的なアプローチです。この分野で特筆すべき研究者が、ロバート・クロニンジャーです。彼は「気質・性格インベントリー」(TCI)という心理検査を開発し、自己超越性を客観的に測定可能な特性として捉えました。

クロニンジャーのTCIでは、自己超越性を三つの側面から理解します。

第一の「自己忘却」は、瞑想や芸術活動に没頭する中で自我意識が溶解することを指します。第二の「トランスパーソナル同一化」は、他者や宇宙との一体感を感じる傾向です。そして第三の「精神的受容」は、スピリチュアルな体験や世界観を受け入れる開放性を表しています。

このクロニンジャーのTCIは自己超越性に関わる生理学的研究でしばしば用いられています。

右頭頂葉との関連

自己超越性に関わる脳領域としては右頭頂葉があります。

頭頂葉は、様々な感覚情報を統合して、主観的な経験を作り出す働きがあります。その中でもとりわけ右頭頂葉は自己意識と深く関わっており、この領域の活動が変わることで自己超越的感覚が生み出されるのではないかと考えられています。

例えばある研究では、瞑想の経験が非常に深いチベット僧を対象に、瞑想中の脳活動を調べています。結果としては瞑想の深度が深いほど、右頭頂葉の活動が低下することが示されています(Newberg et al., 2001)。

Newberg et al., 2001, figure.1

 

 

 

 

 

 

またびまん性脳損傷患者(交通事故などの強い衝撃で脳全体を広く損傷したもの)を対象としたある研究では、自己超越性と右頭頂葉機能の関係について調べています。この研究では、右頭頂葉の機能に関わる様々な認知神経学的検査(空間認識機能や身体認知機能)を行い、自己超越性との関わりを調べています。

結果としては、右頭頂葉の機能低下を示す患者は他の領域の機能低下と比べて、自己超越性傾向が高くなったことが示されており、右前頭前野が自己超越性傾向と関連しているのではないかと考察されています(Johnstone et al., 2012)。

中脳水道灰白質との関連

自己超越性と深く関わるもう一つの領域として、中脳水道灰白質が注目されています。

中脳水道灰白質(PAG)はあまり聞き慣れない脳領域ですが、脳内ネットワークの中心として私達の感情や行動に大きな影響を与えています。

George et al., 2019, figure 1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中脳水道灰白質の本質的な役割はネガティブな刺激に対するリアクションの調整です。

具体的には、生存に関わる危険やリスクに対して不安感情を喚起したり、逃避行動や攻撃行動を引き起こすよう、脳全体の活動を調整しているのです。

ある研究では脳損傷患者のデータベースを使って、自己超越性と中脳水道灰白質を中心とした脳内ネットワークの関係について調べています。

結果としては、中脳水道灰白質と前頭前野の結びつきが強いほど自己超越性が高まり、逆に、中脳水道灰白質と感情関連領域(皮質下領域・大脳辺縁系)との結びつきが弱いほど、自己超越性が低くなることが示されています(Ferguson et al., 2021)。

中脳水道灰白質はセロトニンやオピオイドといった神経伝達物質を使って脳活動を調整しているのですが、これらの物質は他の研究でも自己超越性と関わることが報告されているものになります。

このように、中脳水道灰白質は自己超越性の神経基盤として重要な役割を果たしており、特に前頭前野との結合や感情関連領域とのネットワークを通じて、私たちの意識が「自己」の枠を超えて拡張する体験を制御していることが示唆されています。

まとめ

このように自己超越性は自己感覚が拡大して世界や宇宙とのつながりをより深く感じるものですが、その生理学的基盤としては、右頭頂葉や中脳水道灰白質が考えられています。

自己超越性自体には良いも悪いもないのですが、ときには生身の身体をはみ出して考えることで厄介な問題も解消することがあるかもしれません。心と体の自由度を上げて、どうにか上手に生きていきたいものです。

 

【参考文献】

Ferguson, M. A., Schaper, F. L. W. V. J., Cohen, A., Siddiqi, S., Merrill, S. M., Nielsen, J. A., Grafman, J., Urgesi, C., Fabbro, F., & Fox, M. D. (2022). A Neural Circuit for Spirituality and Religiosity Derived From Patients With Brain Lesions. Biological psychiatry, 91(4), 380–388. https://doi.org/10.1016/j.biopsych.2021.06.016

Johnstone, B., Bodling, A., Cohen, D., Christ, S. E., & Wegrzyn, A. (2012). Right parietal lobe-related “selflessness” as the neuropsychological basis of spiritual transcendence. International Journal for the Psychology of Religion, 22(4), 267–284. https://doi.org/10.1080/10508619.2012.657524

Newberg, A., Alavi, A., Baime, M., Pourdehnad, M., Santanna, J., & d’Aquili, E. (2001). The measurement of regional cerebral blood flow during the complex cognitive task of meditation: a preliminary SPECT study. Psychiatry research106(2), 113–122. https://doi.org/10.1016/s0925-4927(01)00074-9

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