目次
はじめに
人間が社会で生きていく上では、相手の心を理解することが欠かせません。その土台となるのが、人間が持つ共感能力です。この共感能力には、ミラーニューロンネットワークと呼ばれる脳の仕組みが関わっていると考えられています。しかし、この学説にはいくつかの疑問も提起されています。今回の記事では、その疑問点について詳しく掘り下げて考察してみたいと思います。
ミラーニューロンネットワークとは?
私たちの脳は、さまざまな機能を担うネットワークの集合体です。例えば、視覚や認識に関わるネットワークなどが存在しますが、その中でも「模倣」に関わる特別なネットワークがあります。
この模倣に関わるネットワークは、他人の動きを自分の脳内に反映するような働きを持つとされています。たとえば、誰かがコップに手を伸ばす動作をすると、それを見た自分の脳内でも同じようにコップに手を伸ばす動作が再現される仕組みです。
このネットワークの中心となる領域は2つあります。ひとつは「左下前頭回(より広義には左腹側運動前野)」、もうひとつは「下頭頂小葉」と呼ばれる部分です。
- 左下前頭回: 言語の生成や運動の計画を司る領域。
- 下頭頂小葉: 身体感覚情報を統合する役割を担う領域。
これらの領域が連携することで、他者の行動を自分の脳内で再現することが可能になります。この「再現」が、相手の気持ちや考えを想像する基盤になり、共感を生み出す仕組みではないかと考えられています。
共感とはなにか?
ミラーニューロンネットワークは「共感」に関与しているとされていますが、そもそも共感とはどのようなものなのでしょうか。
ミラーニューロンネットワークと共感の関係を調べたメタアナリシス研究では、共感を3つの概念に分けて捉えています(Bekkali et al., 2021)。
まず、「運動的共感」とは、相手の表情や動作を無意識に模倣してしまう現象を指します。たとえば、泣いている人を見ると自然と自分も泣き顔になったり、笑っている人を見ると思わず笑顔になるような反応がこれに該当します。
次に、「感情的共感」は、相手の感情が自分にも影響を及ぼすことを意味します。たとえば、怒っている人を見ると自分の血圧が上がったり、幸せそうな人を見ると心拍数が落ち着いたりするような反応がこれにあたります。
最後に、「認知的共感」は、相手の感情や考えを意識的に理解する能力を指します。相手の言動や状況をもとに、その人が何を感じているのか、何を考えているのかを推測できることがこの概念に含まれます。
これら3つの異なる種類の共感は、それぞれ独立しているわけではなく、お互いに関連し合いながら機能することで、私たちが一般的に「共感」と呼ぶ現象を形作っていると考えられています。
ミラーニューロンネットワークと共感の関係性
ミラーニューロンネットワークと共感の関係については多くの研究が行われていますが、Bekkaliらのメタアナリシス研究ではその関係性が統計的に検証されています。メタアナリシスとは、類似したテーマの研究データを統合し、全体としての関連性を評価する手法です。
この研究では、特にミラーニューロンネットワークの代表的な領域である下前頭回と下頭頂小葉の活動が、共感の各構成要素とどのように関連しているかが分析されています。
具体的には、以下の方法で共感が測定されました。
- 運動的共感: 他者の表情変化を検出するために顔面筋電図(EMG)や顔面行動符号化システム(FACS;)。
- 感情的共感: 心拍数や呼吸数などの生理的変化、または自己申告による感情変化を評価。
- 認知的共感: 他者の感情や考えを正確に推測する能力や、その速さを観察。
共感の構成要素 | 定義と概念化 | 測定方法 |
運動的共感 | 他者の観察中に、顔の表情や体の動きなどの身体言語を自動的に模倣し、同期させる能力 | – 顔面筋電図(EMG)や専門家による顔面行動符号化システム(FACS)での顔の表情の変化検出 |
感情的共感 | 他者の感情状態に即座に感知し、心理的または感情的に共鳴する能力 | – 心拍数、心拍変動、呼吸などの生理学的な変化や、自己申告の感情変化を測定 |
認知的共感 | 他者の心的状態(思考や感情)を理解し、それを認識する能力 | – 表情や対話の観察を通じた感情や精神状態認識の正確性または反応時間を評価 |
研究の結果、感情的共感と認知的共感はミラーニューロンネットワークの活動と有意な関連がある一方で、運動的共感については統計的な関連性が確認されませんでした。
従来の考えでは、他者の動作を観察することで身体が反応し(たとえば笑顔や泣き顔になる)、その後に心が変化して共感が生じるとも考えられていました。しかし、この研究は共感のメカニズムがより複雑であり、単純な因果関係では説明しきれないことを示唆しています。
まとめ
このように、「共感」とは一言で語れるものではなく、さまざまな要因が絡み合って成立している複雑なプロセスです。そのため、ミラーニューロンネットワークだけで簡単に説明できるものではありません。さらに近年の研究では、共感には自分自身の感情を認識する能力が大きく関わっているとされ、自閉スペクトラム症(ASD)ではその能力が十分に発達していないため、共感能力が低くなりがちであると議論されています。
次回の記事では、この「自分自身の感情を認識する能力」の低下、すなわちアレキシサイミア(失感情症)と共感能力との関係について深掘りしてみたいと思います。
【参考文献】
Bekkali, S., Youssef, G. J., Donaldson, P. H., Albein-Urios, N., Hyde, C., & Enticott, P. G. (2021). Is the putative mirror neuron system associated with empathy? A systematic review and meta-analysis. Neuropsychology Review, 31(1), 14–57. https://doi.org/10.1007/s11065-020-09452-6