ナラティブ・エコノミー 感染症・物語・経済
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はじめに

ー科学の目的とは未来を予測することにあるー

ジャック・ラカン 「人格との関係からみたパラノイア性精神病」

 

地球上には数百万種の動物がいますが、私達人間と他の動物が決定的に違うものというのは一体何でしょうか。

色々あるとは思いますが、あなたと他の動物を切り分けるものは、「今、ここ」を離れた世界に自由に想像をはためかせることができることではないかと思います。

あなたはおそらく明日の心配をし、来年の心配をし、自分の子孫の心配まですることで、お金をためたり、働いたり、休んだりしています。

このように「今、ここ」を離れて未来を見ようとする行為は、古くは亀甲占いや神官のお告げがありましたし、

ここ最近では科学と呼ばれるものが幅を利かせていますが、

経済学というのも科学の一つであり、その目的は「今、ここ」を離れて遠い先を見通すことにあります。

そう考えれば現代の経済学者というのは古代ギリシアのデルフォイの神託のような役割を担っているとも考えられますが、

近年考えられている経済予測の手法の一つとして、巷に出回っている物語を信託のヒントにしようというものがあります。

これはナラティブ・エコノミーとも呼ばれていますが、これはどのようなものなのでしょうか。

物語とは

物語というのは人間の歴史と同じくらい古いものだと思うのですが、その役割は一体何でしょうか。

心理学者で社会における物語の役割を考察した先駆者、ジェローム・ブルーナーは世界を理解しやすくするための、ある種の認知モデルなのではないかと考えています。

私達は物語に限らず様々な認知モデルを持っています。

リンゴをみればリンゴだと判断できるのは、私達がリンゴについてのモデルを持っているからですし、猫を見れば猫と分かるのは脳の中に猫というモデルを持っているからです。

このように私達は色んな経験を通して様々なモデルを獲得することで、リンゴならリンゴ、猫なら猫というように簡単に判断し、かつ適切に行動することができます。

物語というのもリンゴや猫と同じように一つのフレームワークであり、この物語という型を通して、複雑怪奇で一見意味をなさない現実世界に意味と構造を与えて、行動の道筋をつけることができます(株式投資をしている人ならば、なぜ株が上がったか、下がったかという”物語”を思い出してください)。

このように物語というのは認知のフレームワークであり、私達の行動の指針となるものと考えられますが、脳の中でははたしてどのように処理されているのでしょうか。

物語の認知に関しては様々な研究があるのですが、物語の理解に際して脳の中では前頭眼窩野と呼ばれる領域が活動することが報告されています。

この前頭眼窩野というのは脳のネットワークの中では情動と理性をつなぐような場所に位置しており、意思決定の中枢とも考えられているところです。

引用:岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist 「乖離の治療論(71)」

私達はしばしば人を動かすために物語を使ったりしますが(「おれが昔若かったときね・・・」、「あの人は昔ね・・・」)、

物語の理解に関わる領域が意思決定の領域と共通しているというのはなかなか興味深い点でもあります。

行動経済学とは

さて経済学というのは人や企業、国家がどのようにお金を使うのかについて調べる学問ですが、

伝統的には、私達は合理的にお金を使うと考えられてきました。

すなわちコンピュータが確率計算ではじき出すように、得になる可能性が高ければお金を使い、損になる可能性が高ければお金を使わず、常に合理的に判断して行動するという前提で様々な理論が考えられてきました。

しかしながら私達人間は随分いい加減な生き物で、必ずしも合理的に行動できるとは限りません。

合理的に考えれば宝くじは損をする確率が相当高いのに買ってしまいますし、

寿命を縮めるのが分かっていても、酒を飲み、タバコを吸い、ストレスフルな仕事に明け暮れます。

場合によっては手間やお金を払ってまで誰かをやっつけるという、おかしな事までしてしまいます。

このように人間の行動は必ずしも合理的ではなく感情に突き動かされる部分が多いのですが、行動経済学というのはこの生身の人間の経済行動を説明しようとしたものになります。

ではこの生身の人間の感情にスイッチを入れるのは一体どのようなものなのでしょうか。

行動経済学の第一人者であるロバート・シラーは、それは”物語”である、と大恐慌期前夜を描いたルポルタージュ、「オンリー・イエスタデイ」を例に取り説明します。

Shiller, Robert J. 2017. “Narrative Economics.” American Economic Review107 (4): 967-1004.

では、物語というのはどのようにして経済を動かしていくのでしょうか。

感染モデルとは

「オンリー・イエスタデイ」というのは米国で大恐慌が始まったその瞬間(1930年代初頭年)、あるジャーナリストが大恐慌直前の1920年代に社会で何が起こっていて、どのような物語が語られたかについてまとめたルポルタージュなります。

現在を例に取れば、コロナ騒動が起こる直前の2019年11月から今日この日までの世論の変化をリアルタイムで切り取ったような作品になるのでしょうか。

その中で大恐慌が始まる前の社会に流布された無数の成功物語によって、人々がどのように熱狂して株式市場にお金を突っ込んだかについて事細かに書かれています。

投資行動に関わらず、私達は物語によって様々な意思決定をします。

あの商品を買ったら肌が白くなった、大豆を食べたら元気になった、トイレを磨いたら成功したなどそういった物語には枚挙がありませんが、この物語というのはどのようにして世の中を広まっていくのでしょうか。

ロバート・シラーは感染症モデルがこの分析に有効ではないかということを述べています。

感染症モデルというのは、どのように感染が広がっていくのかを示したモデルなのですが、

その基本式は、

  • 免疫をもたない者 Susceptible
  • 発症者 Infectious
  • 回復者(免疫獲得者) Recovered

で構成され、接触頻度や潜伏期間のパラメータを変えることで、感染ピークを推定できるものです(以下はCovid-19を例に取ったグラフ、直接接触率が下がるにつれて感染ピークが変化することを示しています)。

  

この感染症モデルに再感染の要素を入れると以下のMERS(中東呼吸器症候群)の感染者グラフのように周期性を示すコブ型のグラフになることが知られていますが、

世間に流布する言葉もこのような感染症グラフと同じような動態を示すことがグーグルの文献データベースで示しうることが述べられています。

ちなみに私もこのサービスを使っていくつかの単語を調べてみたのですが、なかなか興味深い結果が出ました。以下貼り付けておきます。

 

(love(愛):1700-2019)

(hate(憎しみ):1700-2019)

(disparity(格差):1700-2019)

(revolution(革命):1700-2019)

(jap(ジャップ):1700-2019)

(Nazi(ナチ):1700-2019)

愛と憎しみが相関したり、ナチが周期的に盛り返していたり、格差と革命が相関してそうで実に面白いですが、本稿とは関係がないので貼り付けるだけにしておきます。

興味のある人はGoole Ngramをいじってみてください。

ことばや思想も感染症の一種で忘れた頃に流行りだすものかもしれません。

実証分析:単語発生密度による経済予測

このように世の中に出てくる様々な言葉というのは世相を反映して時代精神のようなものを映し出すものなのですが、これを経済分析に役立てるためにはどのようにすればよいのでしょうか。

ある研究ではロイター通信を始めとする英語圏の記事の中で、悲観的な言葉と楽観的な言葉の割合と言葉のエントロピーについて調査し、経済状態との関連について調べています。

Nyman et al. News and Narratives in Financial Systems: Exploiting Big Data for Systemic Risk Assessment (January 5, 2018). Bank of England Working Paper No. 704

言葉のエントロピーというのは聞き慣れない言葉ですが、

これは「猫も杓子も」度合いだと思って下さい。

例えば新聞5紙を取って読んでみると、大抵の場合、景気予測や政権批評には各紙によって色々でばらつきがあります。

エントロピーというのはばらつきを示す指標でもあるのですが、言葉のエントロピーが高い状態というのは、世間に流布されている言説にばらつきが大きい状態です。

それに対して言葉のエントロピーが低い状態というのは、猫も杓子も皆同じようなことをいっているようなばらつきの低い状態です。

ヒトは世間の風向きに従って行動します。

景気が良さそうだと聞けば財布の紐も緩みますし、悪そうだと聞けば財布の紐を締めて実際に景気も悪くなります。

世間に出回っているニュースでヒトは景気の先行きを判断するので、このニュースの性質で景気の先行きを予測できないかという研究になるのですが、以下がその結果になります。

黒線のロイター指数感情指数は、楽観的な言葉が優勢を占めているかの指標になります。

黄色のトピックエントロピーというのは、ある時点での世間に流れていることばの密度を示した指標になります。

色々な読み方ができるグラフではありますが、

グラフはサブプライムローン問題に端を発するリーマン・ショックの前後を示したもので、

世間で流れる言説が楽観に傾き、それに続いて皆が同じことを言い始めた直後に経済破綻が起こりうることを示しています。

少し前の仮想通貨や最近では金価格の上昇がありますが、「必ず儲かる」ような風潮が出てきたら手を引くサインだということになるのではないかと思います。

おわりに

景気の先を読むのは難しく、それゆえ様々な予測理論や経済理論もあったりしますが、このナラティブ・エコノミーに基づいた予測方法が本当に役に立つかどうかはわかりません。

というのも予言には自己実現してしまうという性質があり、予測自体が未来を規定してしまうということもありうるからです。

私自身は投資の才覚がないのが分かっているので、分散継続投資でなんのドキドキもありませんが、生きるにあたっては、他人の物語に踊らされず、自分の物語を紡いでいきたいものです。

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【参考文献】

Nyman, Rickard and Kapadia, Sujit and Tuckett, David and Gregory, David and Ormerod, Paul and Smith, Robert, News and Narratives in Financial Systems: Exploiting Big Data for Systemic Risk Assessment (January 5, 2018). Bank of England Working Paper No. 704, Available at SSRN: https://ssrn.com/abstract=3135262 or http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.3135262

Shiller, Robert J. 2017. “Narrative Economics.” American Economic Review107 (4): 967-1004.DOI: 10.1257/aer.107.4.967

 

 

 

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