明るさ、数の多さ、大きさを自由に見た場合の視覚的知覚の非対称性
私達の視覚的意識というのはまっすぐきれいなわけではなく、
どちらかというと左側を重く見るような偏りがあります。
それゆえ半側空間無視の評価で使う線分二等分課題を健常者で行うと左寄りになったりしますが、
なぜわたしたちの脳は左側を重視してしまうのでしょうか。
今日取り上げる論文は、健常者を対象に以下の3つの種類の視覚課題の判断を通して視覚的認知の傾向を探ったものです。
1つ目の課題は以下のような図を使って、右と左どちら側が明るいかを判断させるもの、
2つ目の課題は、右と左のどちらの方が星の数が多いか判断させるもの
3つ目の課題は、右と左のどちらの方が大きいかを判断させるもの
なのですが、やはり全体的に左側の方を明るさにしろ、数の多さにしろ、形の大きさにしろ過大視してしまう傾向が見られたことが示されています。
このような結果となった背景として、右半球というのは情報処理において明るさや、数の多さ、大きさといったものに特化しているからではないかということが述べられています。
私達の認知というのはデフォルトで非対称性があるのだなと思いました。
参考URL :Free-viewing perceptual asymmetries for the judgement of brightness, numerosity and size
ポイント
自由視条件下での知覚の非対称性を、正常な右側成人13例を対象に検討した。
結果、被験者は左側を過大評価する傾向が見られた。
これらの要因として認知における右半球の特性が関わることが考えられた。
補足コメント
耳をすませば窓の外からは朝の訪れを知らせるカアカアというカラスの鳴き声や、目の前のチカチカとしたパソコンのディスプレイ、
玄米の炊ける匂いや、タイピングの疲労によるものか肩の重さなど様々な感覚を意識する。
体の内外の物理的な情報を一生懸命わたしの脳はコードして意識化しているのだけれども、しかしながらこの意識というものは一体何なんだろう。
無数の物理情報が渾然一体となった一つのココロとして現されるというのは考えれば考えるほど不思議なのですが、
視覚的意識というのは、いつどのように進化の段階で現れたのかなと思ったりです。