【後編】自分を自分と感じる脳 自由意志の脳科学研究15本!
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はじめに

「我思う、故に我あり」という言葉があります。

この世界の実像は必ずしも本当であるとは限らず、あなたの目に見える全ては幻かもしれないし、

自分以外のすべての他人はココロを持たないゾンビだったという可能性も捨てきれなません。

とはいえ、そういったあれこれを思推する自分を感じられることは確かなので、意思を持ち、心を持った私がいるというのは少なくとも確かだろうという理屈ですが、はたしてこれは本当なのでしょうか。

私達は手を動かそうとする、その思いが生じる前にすでに脳の中では運動を始めようとするような活動があるという話もあります。

私達は主体的に生きることが出来る能力を持っている、すなわち「自由意志」を持っているというのは

心理学や生理学、哲学の話だけでなく、刑法や民主主義といった社会の根幹にも絡んでくる壮大なテーマなのですが、

果たして私達は本当に自由意志を持っているのでしょうか。

今回の記事では、自由意志にまつわる脳科学の代表的な研究を15本取り上げ解説していきたいと思います。

自由意志をめぐる話題

自由意志はどこにあるのか?

普段私達は自由に自分の体を動かしているような気がしています。

つまり自分のやることなすことは自分の意思があってやっていることだと思っているのですが、この自分の「意志」というのは脳科学的に考えるといったいどういうものなのでしょうか。

具体的なところで、まずコップに手を伸ばすというシチュエーションを考えてみましょう。

普通に考えれば

「よし、コップに手を伸ばすぞ」

と思ってから脳の中でも手を伸ばすことに関わる脳の部分が働いて手が伸びる

というような結果になりそうな気がします。

つまり

思う(動かすぞ)→脳が運動の準備を始める→実際に動く

というような流れになっていそうな気がします。

ところが実際は違うというようなことを証明した実験があって紙面の関係で詳細は省きますが実際は

脳が運動の準備を始める→思う(動かすぞ)→実際に動く

という流れであることが示されています。

つまり脳が勝手に動こうとしてそれに追従する形で意思が現れるということでなんだか直感的な理解に反するということでいろんな議論を読んだそうです。

この論文はかの有名な実験と絡めて自由意志の所在について考察したものです。

Conscious intention and brain activity.

「我慢」に関わる脳活動とは?

ヒトが物心つくかつかないかのころから学ぶことの一つに「我慢する」ということがあります。

ごはんを食べるときには遊ばない、

おもちゃで遊びたくても寝る時間にはそれをやめる、

人の頭は叩かない

などなどいろいろありますが、脳科学的にこの「我慢」というのはどういった仕組みで回っているのでしょうか。

この「我慢」という能力は小さい頃から仕込まれるだけあってヒトの性質の根本的なところを示すものだと思うのですが、この論文はこの「我慢」の脳機能についてまとめたものです。

一口に我慢といってもヒトの我慢には二つあるようです。

一つは外からダメ!と言われて我慢するような我慢で

これは「赤あげるけど青下げる」というような動作の抑制や

「触るな!」という表示を見て触るのを差し控えるようなそんなタイプの我慢です。

こういったのは外部刺激によって駆動される我慢なので外発的な動作の抑制と言うそうです。

もう一つは自らの意志で我慢するようなそんなタイプの我慢で、

これは駄目と言われなくても食べるなと書いていなくても、外発的な刺激によらず、自らの意志で何かをしない、何かを食べないというような我慢です。

こういった我慢は内発的な意思によってなされるので内発的な動作の抑制というそうです。

この二つは脳の中でも異なるシステムで処理されているようで

とりわけ内発的な我慢というのは脳の中でも「こころ」を構成するある部分が大事な役割を果たしていることが述べられています。

「我慢」というのは「こころ」なのかなあと思いました。

Intentional inhibition in human action: the power of ‘no’.

自由と痛みの関係とは?

ヒトは自由が大好きかといえばそういうこともなく

ある識者によればヒトは自由であることの重みに耐えかねてしばしばその自由から逃れようとするということですが、脳科学的に考えてこの自由の持つ重みというのはいったいどういうものなのでしょうか。

この論文は自由意志による決定が感覚処理にどのような影響を及ぼすかについて調べたものです。

Grin and bear it! Neural consequences of a voluntary decision to act or inhibit action.

実験では人工痒み発生装置(そんなものがあるのですね)でかゆみ刺激を与えられるのですが

①自由にそのかゆみ刺激から逃れる/耐える

②指示に従ってそのかゆみ刺激から逃れる/耐える

という条件で動いてもらいその時の脳活動を調べたそうです。

結論を述べると

自分の意志でかゆみに耐えることを選んだ時というのは、指図にしたがって耐えた場合にくらべてより強いかゆみを示すような脳活動が引き起こされたそうです。

脳活動から見る限り、他人から指示された痒みは弱く、自分から選んだ痒みは強い。

以下少々こじつけっぽくはあるのですが、

これを痛みに置き換えて

雇われ人事部長が社長の指示に従って誰かを解雇する時の心の痛さと

社長が自分の意思と責任で誰かを解雇するときの心の痛さというのはきっと社長のほうが心情的に痛いはずで

自由というのは増幅される痛さを引き受けることを含むことなのかな

それゆえ、時に逃げ出したくなるのかなと思いました。

「意図的抑制と刺激駆動的抑制の神経相関」

ヒトというのは謎の生き物です。

外目からは彼らは何を考えているのかはよく分かりません。

例えば「何かをしない」という行為があります。

叩かない、盗まない、傷つけない、浮気しない

いろいろと「何かをしない」という行為がありますが、

果たしてそれが彼らの自由意志によって行われているのか、

あるいはそれをすると怒られるからという外的要因によってなされているのかというのは、言葉を聞いても仕草を見ても本当のことはわからないのではないかと思います。

こんなふうに得体のしれない「何かをしない」という行為ですが、これは脳の中を見ることでどこまで本当のことがわかるのでしょうか。

この論文は「何かをしない」という行為について詳しく調べたものです。

Neural correlates of intentional and stimulus-driven inhibition: a comparison.

結論を述べると外的要因によって「何かをしない」場合と自らの意志によって「何かをしない」場合では似たような脳活動が起こっているようです。

これは具体的には認知や運動の調整を行うような脳の部分なのですが

しかしながら

自らの意志で「何かをしない」といった場合には

脳の中でも認知や運動だけでなく「ココロ」を形作るある部分が活動していることが述べられています。

こんなことから「何かをしない」という行為であってもココロを伴う場合と伴わない場合の二つがあって

この二つは脳の中を覗けば少しは分かるのかなあと思いました。

「自由に意思しないことはできない:先行的な脳活動が抑制の決定を予想する」

私達は自分の意志で自分のカラダを動かしているような気がするのですが果たしてこれは本当なのでしょうか。

このあたり前とも思える自由意志に疑問を呈したのがリベットの自由意志に関する研究でこれによると自分で何かをしようと意識するよりも脳が先に活動しており、すなわち決める前から決まっているということが明らかにされています。

これでいくと私達は自由意志がないような気がしますが、その後の実験で何かをしないというのは私達の自由ではないかということが言われているたようです。

これはすなわちカッときてだれかをぶん殴ろうと思った時でも、ふとその意志の発動を抑えることができる、そこにこそ人の自由性があるのではないかという話ではなかったかと思います。

ヒトには自由になる意思”free will”はないけど、意思の発動を抑える力がある”free won’t”はあるというのであれば、いくらか救いようがあると思うのですが、この論文はこの”free won’t”もあるかどうか怪しいという内容のものです。

There is no free won’t: antecedent brain activity predicts decisions to inhibit.

実験では自由にボタンを押したり押すのを控えたりという課題を行ったのですが、やはり意思の発動を抑える課題でもそれを意識する前に脳が勝手に活動しており、やはり”free won’t”であっても脳が先にあって、そのあと意思がついてくるのではないかということが述べられています。

添付の図のように事前決定(predestination)という自動操縦の車に乗って自由意志(free will)があるような気分であるとすればなんともやるせないなあと思いました。

上図URL:http://www.karbantartasfejlesztes.hu/images/predest.jpg

非暴力の脳科学:何かをしないというのはどういうことか?

ヒトが他の動物と大きくことなる点の一つに「何かをしない」ということがあるのではないかと思います。

旧約聖書を見ても「汝、~をするなかれ」という言葉が見られるように

あるいはガンジーが基本的な政治的スタンスとして殴られても殴り返さないという方略をとったように

ヒトは自らの衝動を抑え、抑制することに優れるという点で他の動物と大きく違うと思うのですが、

「何かをしない」というのは脳科学的に考えるとどういうことなのでしょうか。

これをごく単純に考えて

「手を挙げない」ということで考えてみましょう。

この時考えられるのは二通りで

①「手を挙げる」ということ、そのものすべてをキャンセルすることで手を挙げない

②「手を挙げる」というプログラムに対抗して「手を下げる」筋肉を強力に発動して、結果として手を挙げない

ということが考えられると思うのですが脳は果たしてどちらの方略をとっているのでしょうか。

この論文はこのテーマについて調べたものですが

Using voluntary motor commands to inhibit involuntary arm movements.

結果を述べると「手を挙げる」というプログラムすべてをキャンセルするような形で動作を抑制することが示されています。

何かをしないというのはチカラ技ではないのだなと思いました。

「脳は主観的な自由の選択と関係する」

私達は普段自由に身体を動かしているような気がしますが、この自由にやっているという感覚は一体どういうものでしょうか。

例えば初めてスノーボードを始めた時にはどうしても自由に身体を動かしているというような気になれない。

初めて車を運転した時もそうですし、初めて名刺交換をする時もそうでしょう。

はたからみてもこの自由感というのはなかなか掴みづらいものだと思うのですが脳科学的に見て、この「自由にやっている」という感覚はどのようなものなのでしょうか。

この論文はこの自由感について調べたものです。

自由に選ぶ感覚を調べる方法としては、ひとつ考えられるのは自由に何かを選んでいる時と、強制的に何かの条件に従って選んでいる時の脳活動を較べるものでしょう。

しかし本当にこの方法は本当に自由を反映しているのでしょうか。

これは例えばレストランで何かを注文することを考えてみましょう。

自由に何かを選んでも良いと言っても、ひょっとしたら店のディスプレイに影響されて選んでいるかもしれないし、ひょっとしたら昨日食べたご飯の内容にも影響されるかもしれない、懐具合も影響するかもしれないし、一緒に行った友達の選ぶ内容にも影響されるかもしれない。

そう考えると何かを自由に選ぶと言っても、完全な自由というのは難しいのかなという気にもなってきます。

この論文では被験者に自由に選ぶときでもどれくらい自由に選んだかというのを「とても自由」「そこそこ自由」「少し自由」「全然不自由」というように段階づけした評価をしてもらい、それと脳活動を比べています。

Brain correlates of subjective freedom of choice.

結論を述べると従来の「自由」「強制」で較べる実験とはだいぶ違った結果が出ており、脳の中の「わたし」感覚を司るネットワークが自由感が高いほど高く活動していたことが述べられています。

自由というのは扱いに難しいなと思いました。

視覚と身体感覚

「身体を見ることで一次体性感覚野の活動が調整される」

もう何十年も生きてきているのにこの注射というのは怖くて痛くてしょうがないのですが、この痛さを回避する方法というのは何かしらないものなのでしょうか。

近年の研究では単に痛むところを見ることで痛みが減弱するという報告が色々とあるようですが、今日取り上げる論文はその脳科学的基盤について調べたものです。

一般に脳というのは神経同士がつながって働いていることが知られています。

これは例えば

神経細胞A→神経細胞B→神経細胞C→・・・・

というように情報が神経細胞を伝っていろいろと流れていくのですが、これには大きく二通りの流れ方があるようで

一つは流れていく先の神経細胞のスイッチをいれるもの

これは

神経細胞A→(スイッチオン!)神経細胞B→・・・・

のように次々と流れていく先の神経細胞の活動を高めるようなはたらきがある流れ方

もう一つは流れていく先の神経細胞のスイッチを切るようなもの

神経細胞A→(スイッチオフ(*_*))神経細胞B・・・・

のような次の神経細胞の活動を抑えるようなものもあり

こんなように神経細胞同士の接続には二通りがあるようです。

この論文によると

Vision of the body modulates processing in primary somatosensory cortex.

視覚刺激→カラダ見る系神経細胞
↓ (OFF(*_*))
痛み刺激→(ON!)痛み系神経細胞1→・・・

というようにカラダ見る系の神経細胞が痛み処理の神経細胞の活動を抑えるようにつながっていて

それゆえ自分の身体を見ることで痛み感覚が少なくなるのではないかということが述べられています。

それにしても注射をされている時に刺されている腕を見るのはやはり怖いなと思いました(*_*)

「非情報的な手を見ることによる触覚の急速な増大」

和食の世界では五味五感ということばがあるそうです。

これは甘さを引き出すためには多少塩味を聞かせなければいけなかったり、味わいを引き立てるためには視覚的・音響的演出が大事だったりそういうことかなと思うのですが

何も和食にかぎらず、私たちの感覚処理というのは本質的に多重感覚的なのかなと思うことがあります。

一つの感覚が関係のなさそうな他の感覚に影響を与えるというのはよくあると思うのですが、こういった現象は脳科学的にはどのように捉えられているのでしょうか。

この論文は視覚と触覚の関係について詳しく調べたものです。

Rapid enhancement of touch from non-informative vision of the hand.

近年の研究から単に手を見るだけで触覚識別能力が高まることが報告されているのですが、この論文ではやはり手をちらりと見ただけで触覚処理に関わる脳活動が変化することが示されています。

陶芸でも手を見ることで何となく触覚が鋭敏になりそうだし

リハビリの手技にしても新しいものを学ぶときはやはり手元を見たほうが感覚が掴めそうだし

効果器(手や足)を見ることで効果器の機能が一時的に上がるということもあるのかなあと思いました。

「身体サイズの視覚的歪曲が痛み知覚を調整する」

イタイイタイの飛んでいけというのは小さいころは不思議に効いたとは思うのですが、これはいったい気のせいなのでしょうか、それとも何かしら科学的裏付けがあるものなのでしょうか。

近年の研究ではイタイイタイの飛んでいけのように痛みの当該箇所に視線を向けることで痛み感覚に関わる脳活動が変化することが報告されておりあながち気のせいだとも言えないようです。

この論文はこれをもう一つ推し進めて

自分の痛みを感じている場所を大きく見せた場合と

痛みを感じている場所を小さく見せた場合で痛みの感じ方が違うかどうかを検証したものです。

Visual distortion of body size modulates pain perception.

実験では手に熱感を加えて痛みを与えるのですが

①関係のない他の物品に視線を向ける

②そのままの大きさの手を見せる

③特別な鏡を使って手を大きく見せる

④特別な鏡を使って手を小さく見せる

という4条件で実験を行ったのですが

たしかに自分のカラダに視線を向けたほうが痛みを感じにくくなり

かつその傾向はカラダを大きく見せた時のほうが強かったようです。

ココロが不安なときにはカラダが小さく感じますが不安や痛みと身体知覚というのはどこかでつながっているのかなと思いました。

「経頭蓋磁気刺激により明らかにされる視覚による身体認識の皮質における二つの経路」

この論文はヒトが他人の体を認識しているときにどのように脳が活動しているかについて調べたものです。

Transcranial magnetic stimulation reveals two cortical pathways for visual body processing.

ヒトが人の姿を認識するときには、これが手、これが足というふうにバラバラに認識するのではなく、一つの全体的なまとまりとして認識しています。このような認識システムがあるからスティックピクチャーみたいな棒人間も、人の形として認識できると思うのですが、これがどういう仕組でなされているかについて調べたのが今日の研究です。

結論から言うと、このように人の体をひとかたまりの集合として認識できるのに大事なのは、やはりミラーシステムで大事なブローカ野周囲なのではないかということが述べられています。

人の身体認識に関わる領域として、EBA(extrastriate body area)という、背側視覚経路にある領域も知られているのですが、

この部位は、手や足といった個々の身体パーツの認識に関わる領域なのではないかということが述べられています。

セラピストが歩行分析を使用とする時、全体像を見るときにはブローカ野のあたりが強く働いて、股関節や足関節の細かいところを見るときには、EBAのあたりが働いているのかなと思いました。

「身体を見ることで体性感覚皮質間の抑制が調整される」

誰かが目立つと誰かが霞むというのはよくあることだと思うのですが、なぜこんなことが起こってしまうのでしょうか。

これは思うに目立つ誰かというのは必然的にまわりの人間を抑えてしまうからではないかと思います。

会議でも何でも一人声が大きい人がいると、周りの人というのは萎縮してしまって発言しづらい、

そんな感じで目立つ誰かというのはまわりを抑えてしまって、その結果自分がさらに目立つという現象があるのではないかと思います。

こういった現象は脳の中でもよくあって、

これはどこか一つの神経細胞が発火すると、まわりの神経細胞の発火を抑えるようなメカニズムになっており側抑制という言葉で言われているようです。

近年の研究から、ただ自分の手を見るだけでも、手の知覚が鋭敏になることが知られているのですが、

この論文ではこのような効果は手を見ることで側抑制のメカニズムに何らかの変化が起こって、その結果知覚が鋭敏になるのではないかということが述べられています。

Vision of the body modulates somatosensory intracortical inhibition.

人間関係にしても目立つということは自分が飛び出すということとまわりを抑えるということの二本立てで出来ているのかなあと思いました。

その他

波紋としての脳活動

打てば響くという言葉があります。

水面に石を投げ入れると石は大きな波紋を作って周りに影響を与えます。

遠い外国で何か事件が起こると、その事件は遠く離れた極東の地方の一生活にも何らかの影響を与えます。

水面にしても社会にしてもこのようなことが起こるのは水面も社会も一つのシステムとしてつながっているからでしょう。

これは脳も一緒で

なにかイベントが起こると(音楽が聞こえてくる、真っ赤なポルシェが走り去る)

聴覚や視覚に関係する脳領域だけでなく、石が落とされた水面に波紋が広がるように脳全体になんらかの変化が生じるようです。

この論文はある脳画像データからこのような微細な変化を読み取り、何かのイベントが脳全体に影響をあたえるのではないかということを示しています。

Spatially extended FMRI signal response to stimulus in non-functionally relevant regions of the human brain: preliminary results.

脳のことを考えるにあたって部分部分だけでなく全体がどう変わってくるのかということを考えなければいけないのかなあと思いました。

痛覚の脳内地図

普段私たちは漠然と自分の体の感覚を意識していますが、この体の感覚というのは具体的にはどのようなものなのでしょうか。

これは例えば手の感覚というものを考えてみましょう。

目を閉じて指先に感覚を研ぎ澄ませばそこにはいろんな感覚がひしめいているのがわかるはずです。

何かに触れているという触覚

指先が冷たいという温度の感覚

節々が固いなあという関節の感覚

チクチクして痛いなあ、痒いなあという痛覚

などなど

いろいろあると思うのですが、こういったものが脳の中でチャンプルーになって漠然とした手の感覚というものがあるのではないのかと思います。

上に挙げたのはいろんな感覚にはそれぞれに対応するような受容器があって、それが脳につながってきれいに配置されているようです。

これは例えば

脳の中には触覚地図があり

小指触覚-薬指触覚ー中指触覚-人差し指触覚ー親指触覚

というふうにきれいに並んでいるような仕組みになっているということです。

こういった末梢感覚に対応した脳の地図は触覚に関しては大分詳しいことが分かっていたようですが、痛覚に関してはよく分かっていなかったようです。

この論文はこの痛覚の脳内地図について調べたものです。

Fine-grained nociceptive maps in primary somatosensory cortex

結論を述べるとこの脳の中の痛覚地図というのは触覚地図と似たような形をしており

思いの外、痛覚は繊細に脳に表現されているんだなあと思いました。

なぜヒトの脳は綱渡りができるのか?

普段生活しているといろんな情報が脳に入ってきます。

それは花の匂いだったり花の色だったりするのですが

これらの情報はてんでばらばらに処理されるのでしょうか。

いえ、きっとそんなことはなく

美しく盛られた料理は時に美味しさを増すように

異なる感覚というのは互いに影響を与え合っているということがあるのではないでしょうか。

この論文は平衡感覚に関わる前庭覚と触覚の関係について調べたものです。

Vestibular-somatosensory interactions: effects of passive whole-body rotation on somatosensory detection.

いままでの研究から前庭覚を刺激することで触覚が鋭敏になることが知られていたそうです。

これは例えば綱渡りをしているような時には自然と足裏の感覚が鋭敏になりそうなことから想像がつくのですが

結論を述べるとやはり前庭覚を刺激することで触覚の弁別能力が向上することが示されています。

綱渡りの例を考えてもこういった感覚が互いに相互作用する背景には

個体がより適切にいろんな状況にあわせてうまく行動できるようにというものがあるのかなあと思いました。

まとめ

さて、自由意志に関わる研究をいろいろと取り上げました。

自由意志はなく脳が勝手に活動してココロが追認的にそれを感じているだけだという話もあれば、

いや、少なくとも勝手に活動する脳の有り様を抑えよう、我慢しようというココロの有り様は自由意志だといえる、

いや、我慢するココロ、抑制するココロにも自由意志はなく脳の活動がココロに先行しているなど、でてくる話は様々です。

果たして意思や意識、主観というのは考えれば考えるほど遠くに行ってしまいそうな何かのような気がしますが、

生きている間にしっぽくらいはつかめたらいいなと思います。

 

 
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