悲嘆の生理学:大事な人の喪失で何が起こるのか?
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はじめに

愛する人との別れはしばしば強い悲しみを引き起こします。通常であればこのような悲しみは数ヶ月で軽減するのですが、およそ1割のケースでは1年以上立っても強い悲嘆感から立ち直れないことが知られています。このような状態は精神医学的には複雑性悲嘆(遷延性悲嘆症)と呼ばれていますが、生理学的にはどのようなものとして捉えることができるのでしょうか。今回の記事では、この複雑性悲嘆についてのメカニズムについて解説を行った論文を紹介します(LeRoy et al., 2019)。

愛着階層の再編成

心理学的には愛着心には階層構造があると考えられています。最上層にはいわゆる最愛の人が位置し、その下に両親や兄弟などが並びます。何らかの事情で最愛の人を失った時には、この階層関係が崩れてしまいます。最愛の人物というのは最も安心感や幸福感を与えてくれる人でもあります。そのため、最愛の人がいなくなることで、一時的に心理的にも生理的にも不安定な状態となりますが、時間が立って愛着の階層関係が再構成されることで、再び心も体も落ち着いた状態を取り戻します。

しかし場合によっては時間が立っても愛着の階層関係を再構成できないこともあります。このような場合には抑うつ症状や複雑性悲嘆と呼ばれる症状を引き起こします。では抑うつ症状と複雑性悲嘆の違いとはどのようなものなのでしょうか?

抑うつ症状は一般には退避行動を伴います。心をざわつかせるようなものから距離を置き、あれこれ刺激を求めるようなことはありません。しかし複雑性悲嘆では異なる行動が見られます。亡くしたパートナーの写真を見たり、思い出の品を手に取ったり、あえて心がざわつく刺激に近づく行動が見られます。

LeRoy et al., 2019 Figure 1を参考に筆者作成

オピオイド系とは?

このように複雑性悲嘆では、あえて悲しみを誘発するような刺激に対して接近するような行動が見られるのですが、その原因として考えられているのがオピオイド系とよばれるシステムです。私達の体は様々なホルモンによって元気な状態でいられるように調整されていますが、オピオイド系もそういったホルモンの一つになります。オピオイドは免疫系の調整や自律神経の調整にも関わっているのですが、愛着心と大きな関係があることが分かっています。子供が母親に触れていると心が穏やかになり、すやすやと眠るようなことがありますが、オピオイドは愛する人との関わりで増加し、幸福感や安心感を高める働きがあります。

最愛の人というのは、当然オピオイド系に最も影響を与える人になるのですが、最愛の人が失われることでこのオピオイド系がうまく機能しなくなります。その結果、体を元気に保つことができなくなり、免疫系や自律神経系の機能も低下し、抑うつ症状なども引き起こされます。

また愛する人を失って悲嘆にくれているような場合は、オピオイドを増加させるべく、失った人の写真や物に触れようとします。これが上の図にある探索システムの増強に該当するものになります。しかしながら探索行動は同時に悲しみも引き起こしますので、複雑性悲嘆ではいわば喜びを得ようとして悲しみを得てしまうような困難な状態に置かれることになります。このような不快感と接近行動を併せ持つ状態は、薬物依存やアルコール依存などの物質依存障害とよく似ているとも論じられています(LeRoy et al., 2019)。

パートナーの喪失で引き起こされる生理学的変化

以下の図は複雑性悲嘆や抑うつ状態、通常の回復の経過の違いを示したものになります。複雑性悲嘆では喪失に対する抵抗で著しく生理的な反応が高まり、それが時間が経過しても維持されることになります。抑うつ状態については幅が広いのですが(取りうる可能性については、上下の破線で示されています)、同じく生理学的活性は高い状態で維持されます。通常の喪失からの回復過程では、絶望状態を経て生理学的活性も通常の状態に戻っていきます。

LeRoy et al., 2019 figure 2を参考に筆者作成

まとめ

このように最愛の人を失うことで引き起こされる複雑性悲嘆では、愛着の階層構造が変化し、その結果、体の状態を元気に維持するためのオピオイド系がうまく機能しなくなり、様々な問題が生じてしまいます。またオピオイド系は愛着からくる安心感や幸福感にも影響していますので、最愛の人を失った人はしばしば失った人を思い出させる物に接近し、それが悲しみを引き起こしてしまうこともあります。無論、誰かを失った哀しみはホルモンだけで語れるわけではありません。失った誰かが喜んでくれるような人生を生きられればと思います。

【参考文献】

LeRoy, A. S., Knee, C. R., Derrick, J. L., & Fagundes, C. P. (2019). Implications for Reward Processing in Differential Responses to Loss: Impacts on Attachment Hierarchy Reorganization. Personality and social psychology review : an official journal of the Society for Personality and Social Psychology, Inc, 23(4), 391–405. https://doi.org/10.1177/1088868319853895

 

 

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