目次
はじめに
ヒトは助け合う生き物である。
ヒト以外にも助け合う動物は存在するが、ヒトの助け合い能力は質的にも量的にも他の動物を凌駕する。自分の家族はもちろん、会ったこともない人やヒト以外の動物にも共感を寄せ、支援する。
しかし、なぜヒトはこれほどまでに助け合い能力が高いのだろうか。この記事では、ヒトに最も近いと言われるチンパンジーとの比較から考えてみたい。
ヒトとチンパンジーの助け合い
ヒトは助け合って社会を作っているが、これはチンパンジーも同様である。彼らも森やサバンナで助け合いながら複雑な社会の中で暮らしている。しかし、ヒトとは異なる点も多い。
まず1つは自発性である。人であれば、困っている人がいれば自発的に助けることがあるが、チンパンジーはそうではない。チンパンジーが誰かを助けるのは基本的には頼まれた時だけである。その意味で相手の心を察して自分から助けに行くといった芸の細かいことは得意ではない。
またチンパンジーの手助けはどこかエゴイスティックなところがある。相手を助けるのも、相手を喜ばせるというよりは相手からの嫌がらせを回避するためであるとも考えられている。また互いに協力し合うのも、あくまで自分にメリットがあるときだけではないかとも言われている。
さらに他者の評価を顧みないという点でもチンパンジーはヒトと異なる。ヒトであれば他人を助ける動機に他者からの評価がある。面倒見が良い人は評価も高くなるので、誰かを助けようという気持ちも強くなる。しかし、チンパンジーにはこのような文化がないため、第三者の存在は支援行動に影響を与えることが少ない。
このようにチンパンジーの支援行動は、その方法にしてもモチベーションにしても「視点の共有」という点においてヒトとは大きく異なっている。
共感性モデル
ではこのヒトとチンパンジーの違いは心理学的にはどのようなものとして考えられるのだろうか。有名なものとして、動物学者フランス・ドゥ・ヴァールによるマトリョーシカ人形を模した心のモデルがある。
このモデルの特徴は、共感性というのは基幹となる原始的な共感システムを基盤に発達していくというものである。
例えばヒトのこどもの発達を考えてみよう。
赤ちゃんであれば言葉は話せなくても、母親の表情と協調して気分が変わるということがある。すなわち母親が笑えば自分も笑顔を見せ、母親の不安感も表情を通じてこどもに伝染してしまうことがある。このような仕組みは原始的な模倣システムに根ざしており、意識することなしに相手の気分を察することができるものである。
またこの仕組みをベースにして、2、3歳位になると、相手に同情して慰めるような行動も出てくる。さらに5,6歳位になると、相手が置かれた状況を頭で理解して、的を絞った支援もできるようになる。
このような傾向は動物も一緒で、進化がヒトに近ければ近いほど、高次の共感能力を発動し、複雑な支援行動ができるようになるというのが、このモデルの考え方である。
しかし、実際、チンパンジーに当てはめると、必ずしもこのモデルが当てはまらない。
例えば、チンパンジーは相手に対して的を絞った支援を行えるが、他社へ共感して自発的に手助けすることは少ない。このため、支援に関わる心の仕組みはマトリョーシカ人形のような入れ子モデルではなく、独立したみ3つの心理的機能の複合物ではないかというモデルも考えられている。
例えば京都大学霊長類研究所の山本博士は以下のモデルを提示して、チンパンジーとヒトの支援行動の違いを示している。
このモデルによると、向社会性や直感的共感、認知的共感はそれぞれ別のシステムであり、これらが重なり合うことで様々な共感行動が現れると説明される。
たしかに人間であれば、サイコパスのように認知的共感能力があっても、直感的共感能力がないケースもある。そう考えれば、高次の共感能力は低次の共感能力から生まれるというモデルよりは、こちらのほうが説得力があるような気もする。
チンパンジーとヒトの脳の違い
では実際、脳の形態はヒトとチンパンジーでどのように違うのだろうか。
ある研究ではヒトとチンパンジーの脳の形態情報を取りまとめ、様々な機能に関わるネットワークの強さを比べている。この研究では、ヒトのMRI情報や認知課題情報を480人分、同じくチンパンジーの情報を45匹分使って調査した結果、以下の図に示すような関係性が示された。
この図には様々な認知機能に関わるネットワークの強さが示されているが、X=Yの線よりも高いもの(紺色)はヒトがチンパンジーよりも高いことを、低いもの(赤色9はチンパンジーがヒトよりも高いことを示している。
図を見るとわかるように、ヒトでは言葉や表情認知、感情など社会性に関わる脳内ネットワークのつながりが強い。それに対してチンパンジーでは、視覚や聴覚、セイリエンスネットワーク(重要な情報を捉える機能)、ワーキングメモリなどに関わるネットワークがヒトよりも強い。
このような違いが生じた背景として、ヒトもチンパンジーも、それぞれが置かれた環境に最適化してきた結果ではないかと述べられている。
脳というのはエネルギーを使う臓器であり、無駄な機能を持ち合わせる余裕がない。そのため、チンパンジーであれば森やジャングルの中で食料を捕獲できる機能を発達させるように進化し、ヒトであれば人間社会というジャングルで生き残れるように、社会性に関わる機能を発達させてきたのではないかというのである。
またこのようにチンパンジーとヒトはいくらかの違いが見られるものの、脳機能の面では共通性が高く、この研究で得られたヒトのネットワークモデルを使えば、チンパンジーの認知機能の高さも結構な精度(相関係数0.33)で予測できることも報告されている。
まとめ
このようにヒトとチンパンジーは似ているが、置かれた環境でそれぞれ別の進化を遂げた結果、共感性や助け合いに関わる脳機能に違いを生じたのではないかと考えられている。
ヒトとチンパンジーの脳内ネットワークの違いを示したものを見ると、ヒトの脳は、ヒトに対応できるように進化してきたようにも思える。つまり、ヒトがヒトを進化させたのではないだろうか。
ヒトは地球上に生きる生物の一種であって万物の長というわけではない。ヒトは優しい。ヒトは助け合う。しかし、種が違えば、用いられる物差しも違う。幸い、ヒトは自分の視点以外からも世界を覗ける能力を持っている。この能力を無駄にせず、様々な視点で世界と社会を理解したい。
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