目次
はじめに
世の中を渡っていくのは難しい。なぜなら見えないものを見なければいけないからだ。
言葉や表情は、それをそのまま受け取るわけには行かない。言葉や表情の裏に隠れた本当の心を理解しなければ、いつか痛い目に遭うことになる。
人間には、相手の心を想像して読み取る力があるが、これは心理学で「心の理論」と呼ばれている。あたかもシャーロック・ホームズが相手の手の内を読むように、頭を使って心を理解する能力である。自閉症スペクトラム障害では、この能力が十分でないため、社会生活上困難を抱えることになる。
この記事では、この「心の理論」について掘り下げて考えてみたい。
心の理論とは?
「心の理論」とは、簡単に言ってしまえば「他人の立場になって考える」能力である。
この能力があるからこそ「今、話しかけていいかな?」とか、「信じてもらえているかな?」などと類推しながら相手と話を進めることができる。
自閉症者においては、この「心の理論」が十分発達していないことがわかっているが、その先駆的な研究となったのが、サイモン・バロン=コーエンらによって1985年に発表されたものである。
この研究では、精神年齢を一致させた自閉症児、ダウン症児、定型発達児に「サリーとアン課題」と呼ばれるものを行わせ、心を読み取る能力を評価している。
参考までに、この課題を説明すると、
1)サリーとアンが部屋にいます。
2)サリーはボールをかごに隠します。
3)サリーが部屋を出ていき、アンはボールを箱に戻します、
4)サリーが部屋に戻ってきたとき、サリーはどこを探しますか?
というものになる。
サリーの視点を取ることができれば、この問題に正解できるが、できなければ間違えることになる。ダウン症児と定型発達児の85%は正解できたが、自閉症児においては80%が正解できなかったことが報告されている1)。
そして、この研究では知能のレベルは参加者が同じ様になるようにしてあったため、「心の理論」は知能とは独立した能力であることが示されたのだ。
心の理論の発達過程
では、この「心の理論」はどのように発達していくのだろうか。
一般に相手の心を読み解く能力は、4,5歳位から現れるとされているが、細かく見るとその発達段階はもう少し細かく分けられることが分かっている。
2004年に発表されたある研究では、75名の3~5才児を対象に、様々な課題を行い、「心の理論」が5つのステップで発達していくことを示している。
まず最初の発達は、「欲求」の認知である。これは自分が好きなものと他人が好きなものは違うという理解である。自分はロボットのおもちゃが好きだが、他の子はお人形のおもちゃが好きだと認識できるレベルがこれにあたる。
次に発達するのは、「信念」の認知である。これは自分が信じていることと他人が信じていることは違うという理解だ。例えば、自分は明日保育園がお休みだと思っていても、弟が明日は保育園があると信じていることがありえることを認識できる段階である。
その次の段階は、「知識アクセス」の理解だ。例えば、先の保育園の例で言えば、自分は母親から明日は保育園がお休みだと聞いたから、休みなのを知っているが、弟はそれを聞いていないから知らないんだろうと理解できることがこれに当たる。
そして4つ目の段階が「誤信念」の理解だ。相手が十分な情報を得ていないので、間違ったことを行っていると理解できる段階である。例えば、弟が日曜日なのに保育園の準備をしているのは、母親から今日が休みだと聞いていないからだなというのが理解できる段階である。
そして5つ目が「隠された感情の理解」だ。人は思ったことをそのまま顔に出すとは限らない。悲しいときでもニッコリ笑うこともあればその逆もある。このような人間の機微を理解するのがこの段階だ。
このように「心の理論」は相手の心を理解し、行動を予測する能力だが、他者の心の理解は、「欲求」、「信念」、「知識アクセス」、「誤信念」、「隠された感情の理解」の順に進んでいくと考えられている2)。
発達を促す認知機能
このように「心の理論」は段階を踏んで発達していくが、そこに大きく関わるのが、メタ表象能力と抑制能力である。
メタ表象能力とは、表象についての表象能力のことだ。例えば、リンゴを見て「これはリンゴだ」と認識するだけでなく、「「これはリンゴだ」と認識している」ことを認識できる能力である。つまり、考えについての考え、思考についての思考を扱う能力だ。
その具体例としては、「おままごと」遊びがある。子どもたちが「ママ役」や「パパ役」を演じる際、それぞれの役割に応じた思考や行動を想像し、それを維持する必要がある。これはメタ表象能力があるからこそできる遊びである。
そして、この能力は、相手の心を類推する際に重要となる。「考え」について「考え」ることができることで、「相手はあのおもちゃを欲しがっているだろう」「相手は、おもちゃがあの箱の中にあると思っているだろう」といった具合に、他者の考えについて考えることができるようになる3)。
一方、抑制能力も「心の理論」の発達に欠かせない。人間は自分の考えが正しいというバイアスを持っているが、相手の心を正確に読み解くためには、このバイアスを抑える必要があるからだ。
興味深いことに、2歳児や3歳児でも、視線の動きを観察すると、相手の思考を反映するような場所を見ていることがわかっている。しかし、この年齢では自分のバイアスを抑制できないために、他者の心を誤って解釈してしまうのだという4)。
つまり、「考え」についての「考え」を持つこと、また自分の「考え」を抑制すること、この2つによって相手の考えを理解することができる。このように、メタ表象能力と抑制能力は、「心の理論」の発達において重要な役割を果たしていると考えられている。
心の理論の目的とは?
では、この「心の理論」の本質的な役割とはなんだろうか。
一般には「心の理論」の目的とは、相手の心を予測することだと考えられてきたが、最近では更に一歩進んで、相手の行動を変えさせるための能力だとも考えられている5)。これと比べるために、「心の理論」と統計的予測モデル、強化学習を比べてみよう。
例えば、ある職場に新入社員が入ってきたとする。あるエビデンスから、「新入職員は週に3回質問をする」ということが分かっていたとしよう。
もし統計的予測モデルに従うのなら、その新入社員は週に3回質問してくるはずだが、彼は内向的なので質問することができない。このようなケースでは統計的予測モデルでは新入社員に対して適切な働きかけができないだろう。
強化学習モデルで予測した場合の例として、過去に新入社員に積極的に話しかけると、質問をしてくれるようになったという経験があるというケースを考えよう。このような場合、職員は新入職員に積極的に話しかけるが、思うような結果が得られないはずである。なぜなら彼が内向的だからだ。
しかし、「心の理論」を使える場合はそうではない。「心の理論」では、相手の欲求や相手の考えをもとに、より本質的で、より抽象的な行動モデルを組むことができるからだ。彼の心(質問したいけど、迷惑をかけそうなのでしたくない)ということを読み取れれば、「わからないことがあれば何でも質問してね」と伝えたり、それとなく仕事の進み具合を尋ねたりといった方法で彼の質問を引き出すことができるだろう。
このように「心の理論」は単に予測するためだけのものではない。「心」という抽象的な因果モデルを理解することで、適切に他者に働きかけるための機能であるとも考えられる。
まとめ
「心の理論」とは、人と人がうまくやっていくための能力であるとも言える。
この能力の基盤となる脳機能もあり、「心の理論」の個人差もある程度予測できるという。
この点については、また次の記事で掘り下げて調べてみたい。
【参考文献】
- Baron-Cohen, S., Leslie, A. M., & Frith, U. (1985). Does the autistic child have a “theory of mind”?. Cognition, 21(1), 37-46. https://doi.org/10.1016/0010-0277(85)90022-8
- Wellman, H. M., & Liu, D. (2004). Scaling of Theory-of-Mind Tasks. Child Development, 75(2), 523–541. https://doi.org/10.1111/j.1467-8624.2004.00691.x
- Leslie, A. M. (1987). Pretense and representation: The origins of” theory of mind.”. Psychological review, 94(4), 412. https://doi.org/10.1037/0033-295X.94.4.412
- Leslie, A. M., Friedman, O., & German, T. P. (2004). Core mechanisms in ‘theory of mind’. Trends in Cognitive Sciences, 8(12), 529–533. https://doi.org/10.1016/j.tics.2004.10.001
- Ho, M. K., Saxe, R., & Cushman, F. (2022). Planning with theory of mind. Trends in Cognitive Sciences, 26(11), 959–971. https://doi.org/10.1016/j.tics.2022.08.003