なぜあなたはアートを観に行くのか?認知神経心理学による解釈②
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アートと5段階と「私」の構造

私達人間は必ずしも合理的な人間ではありません。

おもちゃを広げて走り回る子供からガレージで夢を広げるベンチャー企業経営者まで、人のやることというのはどこが道理を外れているのですが、その中でもとりわけ変わった人たちとして芸術家と呼ばれる人たちがいます。

彼らは時に全てをなげうって、彼らにとってのリアルを目に見える何かとして作り上げますが、

私達も時に貴重な時間とお金を払って、彼らが作った何かを観に行くことがあります。

果たして私達はなぜそこまでコストを支払ってアートを観に行くのでしょうか。

前回の記事では、アートを鑑賞する時に現れる5段階というものを説明しました。

これは

結果① 一瞥して足早に過ぎ去る

結果② ものめずらしさに足を止める

結果③ じんわりと感動する

結果④ 作品を否定する

結果⑤ 世界観が変わる

というもので、これらの段階に関係するものとしては、

どれだけ自分自身と関係しているのか、

どれだけ自分の枠組みと一致しているのか

という2つの次元で判断されるということを説明しました。

今回の記事では、これをもう一つ掘り下げて、「私」との関連で説明していきたいと思います。

「私」とはなにか?

これを読んでいるあなたは複雑な存在です。

様々な過去を持ち、様々な知識を持ち、様々な傷や感情を抱えて生きています。

そういったあなたが見る世界はきっと私が見る世界とは違う世界であるでしょうし、

あなたが世界と関わる仕方もおそらく私のそれとは違ったものになるのではないかと思います。

例えばあなたが病院の理学療法士だとしましょう。

おそらくあなたの中では「理学療法士かくあるべき」というイメージと「理学療法かくあるべき」という信念があります。

なので、あなたがリハビリ室の中で、「患者を治療しよう」と強く思い、

リハビリ室の中に足を引きずった人がくれば「片麻痺患者だな」と判断します。

これを図にするとこういった形になっています。

しかしこういった理学療法士が休日家で過ごすことを考えてみましょう。

おそらく彼は親として振る舞い、子として親に接します。

こういった場面では、身内に足を引きずる人がいても「Do PT! 」とはなりませんし、

身内を家族として捉えることはあっても、患者として認知することは少ないのではないかと思います。

つまり、あなたは世界に対して色んなことを感じて、色んなふうに関わりますが、その根っこにあるのは

セルフイメージであり、セルフイメージが変われば感じ方も関わり方も変わってくるということになります。

(この辺の仕組みは「予測的符号化」理論とかぶるところもあります。興味のある方は覗いてみてください)

「私」とアートの認知の関係とは?

このようにセルフイメージによって世界の見方が変わってくるのですが、上記の図式を使って、なぜアートに感動したり、呆れたりするのかを考えてみましょう。

上記の図式はPTという職業だけを対象にしたものだったのであらためて、一般化したフレームワークを示すと以下のようなものになります。

ではこういった図式で

結果① 一瞥して足早に過ぎ去る

結果② ものめずらしさに足を止める

結果③ じんわりと感動する

結果④ 作品を否定する

結果⑤ 世界観が変わる

について一つずつ見ていきたいと思います。

結果① 一瞥して足早に過ぎ去る

この場合は以下のフレームワークで捉えることができます。

これはいわゆる「普通」の絵であって、絵を見る前も見た後も自分自身は何ら変わることのない絵です。解説を読んで「ふーん」と思うような体験がこれにあたります。

結果② ものめずらしさに足を止める

これに該当するものは以下のものになります。

どこかもの珍しい絵、よくあるタイプの形式を一捻りだけ加えてあるような絵を観たときには、こんなものもあるのだと驚くことがあります。こういった場面では自分が持っていたスキーマが新しいものに変更されるという変化があります。ちなみに以下の添付図は上記の解説の中でなされているモネの絵になります。

結果③ じんわりと感動する

展覧会を巡っていると、足を止めてじんわりと感動することがありますが、こういったときには以下の図のような状態が考えられます。

ある種の絵は、見る人の心を打ちます。

それは単に構成や配色などといった観点からではなく、その主題が見る人の実在、存在の根っこに迫ってくるような、そんな絵があります。こういった絵を見たときには作品と自己が共鳴して、深くその場で足を止めることになります。

結果④ 作品を否定する

しかし絵を見ていつも感動するとは限りません。あまりに自分の理解を超えた作品は自分の存在そのものを脅かします。

こういった作品を見たときには、それを芸術として認めなかったり、強く否定したりしますが、こういった状況は以下のように示されます。

作品というのはそこにあるだけでは何の価値もなく、見る人と作品が共鳴することでそこに初めて何らかの意味や価値が宿ります。

しかし、このような場合には作品と鑑賞者は交わることができず、作品が作品として成立しない状況になってしまいます。

ちなみに添付図は上記の説明で触れられているアンディ・ウォーホルの作品になります。

結果⑤ 世界観が変わる

最後に説明するのが世界観が変わるような作品になります。

こういった作品には私はいまだあったことはないのですが、以下の添付図は上記の解説で取り上げられている、フレッドサンドバックの作品になります(彫刻作品だそうです)。

おわりに

このように、作品の感じ方は様々ですが、いずれにしても自分が何者かというセルフイメージが根っこにあって、作品を見ることでセルフイメージに響いたり、あるいは作品を見ることでセルフイメージそのものが変わってしまうということもあるそうです。

そう考えてみれば作品を観るというのは自分との対話というふうに考えられるのかもしれません。

次回はもう少し、神経生理学的な内容に踏み込んで描いてみようと思います。

 

【要旨】

この論文は、かなり大胆な目的を持っています.人々がアートに反応する複数の方法を説明し、さらにそれを実証的に研究するための仮説を提供する包括的な理論を提示することです. アートとの相互作用は、説得力があり、時には深遠な心理的経験に基づくことができるという共通の合意にもかかわらず、これらの相互作用の性質は依然として議論されています。私たちは、視覚芸術を知覚して相互作用するときに発生する可能性のあるさまざまなプロセスを解決することを目標に、モデル、ウィーン統合芸術知覚モデル (VIMAP) を提案します。具体的には、これまでの理論的および経験的評価の大部分を形成してきた、アートワークに由来するボトムアップのプロセスを統合する必要性に焦点を当てています。これは、個人が処理経験の中でどのように適応または変化するかを説明できるトップダウンのメカニズムを備えており、したがって、個人がどのようにして特に感動的で、邪魔で、変革的であり、平凡な結果に到達するかを説明することができます。これは、最近のいくつかの理論的研究を組み合わせて、3 つの処理チェックを中心に構築された新しい統合アプローチに統合することで達成されます。これは、アート体験の可能な結果を​​体系的に描写するために使用できると私たちは主張しています。また、モデルの処理段階を感情的、評価的、生理学的要因の特定の仮説に結び付け、挑発的な反応 – 寒気、畏怖、スリル、崇高 – および「美的」と「日常」の感情的反応の違いを含む心理的美学の主要なトピックに取り組みます。

【参考文献】

Pelowski, Matthew et al. “Move me, astonish me… delight my eyes and brain: The Vienna Integrated Model of top-down and bottom-up processes in Art Perception (VIMAP) and corresponding affective, evaluative, and neurophysiological correlates.” Physics of life reviews vol. 21 (2017): 80-125. doi:10.1016/j.plrev.2017.02.003

 

 

 

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