アート鑑賞:あなたの脳の中で何が起こっているのか?
さて、前3作の内容を復習してみましょう。
私達が美術館で作品を見るような時には、およそ5つのパターンがあり、それらは
結果① 一瞥して足早に過ぎ去る
結果② ものめずらしさに足を止める
結果③ じんわりと感動する
結果④ 作品を否定する
結果⑤ 世界観が変わる
というものがありました。
またこういった価値判断の根本には、
どれだけ自分自身と関係しているのか、
どれだけ自分の枠組みと一致しているのか
という観点があり、本質的には、
アートに対するリアクションは、セルフイメージの維持もしくは更新である
というお話をしました。
さらに、アートを見ているときの認知プロセスとしては、
1.前段階(どういった経験をしてきて、どのようにアートと対峙しようとしているのか)
2.ボトムアップ処理(アートを見ることで自動的に引き起こされる受動的な認知処理)
3.トップダウン処理(アートを能動的に見ようとするときの認知処理)
4.ネガティブな処理(アートを見ることで引き起こされるネガティブな感情)
5.自己変容(認知スキーマの変化、自己イメージの変化)
がある、というお話をしました。
さて、今回は最終回となりますが、この認知プロセスでどのような脳活動が起こるのかについて説明したいと思います。
1.前段階
まず、前段階ですが、これはアートを見る前の状態の脳活動です。
アートを見る前の状態というのはアマチュアからプロまで様々です。
この段階で重要な働きを示すのは、大きく分けて2つで、感覚運動野とよばれる領域と報酬系とよばれる領域になります。
私達が何かを見たり聞いたりしようとする時には、まっさらな状態ということはありません。例えば、ベートーヴェンの運命を聴く時には「ダダダ」まで聞くと、次は「ダーン」が来るだろうなと予測しながら聞いています。
また人と会話をしていても、この流れだと相手はニッコリ笑うだろうな、などと薄っすら想像しながら相手の顔を見ています。
このように私達の脳は何かを見聞きするにあたって、今までの経験を元に一瞬先を予測しながら動いているのですが、
この一瞬先の予測にかかわるのが感覚運動野になります(図の黄色い部分)。
また報酬系はモチベーションやワクワク感にかかわる領域で、脳の内側にある脳幹や内側前頭眼窩野とよばれる部分がその中心になります(図のピンク色の部分)。
アートを見る前の段階では、この領域に個人差が現れるのではないかと考えられています。
2.ボトムアップ
ボトムアップ段階というのは、アートを見て1秒にも満たない時間に引き起こされる視覚処理段階になります。
この段階では名前の通り、アートの刺激そのものによって脳活動が引き起こされます。すなわち、どんな色をしているのか、どんな形なのか、どんな大きさなのかという物理的な情報が目に飛び込んでくることで様々な脳活動が引き起こされます。
具体的には、視覚処理と記憶に関わる脳活動です。
視覚処理には大きく分けて2つの経路があります。
一つは後頭葉から頭頂葉に抜ける経路で背側視覚経路と呼ばれるものです。この経路はアートの空間的情報(色・形・大きさ・動きなど)を処理する経路になります。
もう一つは後頭葉から側頭葉に抜ける腹側視覚経路と呼ばれるものです。この経路はアートの意味情報(リンゴなのか、印象画なのか、など)を処理する経路になります。
またこの段階では記憶にかかわる脳活動も引き起こされますが、それは脳の内側にある海馬と呼ばれる部分になります。
アートと対峙した瞬間、その刹那、アートによって脳活動が引き起こされますが、この2つの視覚経路と海馬の活動が主ではないかと考えられています。
3.トップダウン
トップダウン段階というのは能動的にアートを見る段階です。すなわち、意図的に視線を動かして、吟味するように見る段階です。
この段階で主な働きをしているのは、理性に関わる背外側前頭前野、価値判断にかかわる前頭眼窩野、報酬系とよばれる領域になります。
アートを吟味する段階では、立ち止まって過ぎ去ったり、わずかに感動したり、大きく感動したりします。そのリアクションによって、これら3つの脳領域の活性化もそれぞれ異なることが考えられています。
4.ネガティブな処理
トップダウン的な認知処理の結果、自分が持っているアート解釈のフレームワークに当てはまらなかったり、自分自身のアイデンティティを脅かすようなアートであった場合には、しばしばネガティブな感情が立ち起こります。「これはアートではない」、「ナンセンスだ」などというものです。
このような時には主に価値判断に関わる前頭眼窩野や不安や恐怖の中枢である扁桃体が活動すると考えられています。
5.自己変容
さて、作品によってはアートに対する考え方や、自分のアイデンティティそのものが変わってしまうようなことがあります。この時にはどのような脳活動が起こっているのでしょうか。このような時には、認知にかかわる外側前頭前野、自己意識に関わるデフォルトモードネットワーク、多幸感にかかわる報酬系の活動が引き起こされるのではないかと考えられています。
ちなみにデフォルトモードネットワークというのは、脳の内側にある領域で、アイデンティティや自己意識に関係する部分になります。
まとめ
このようにアートを見る時には様々な脳活動が引き起こされるのですが、
前段階では、感覚運動野と報酬系、
ボトムアップ段階では、背側・腹側視覚経路と海馬、
トップダウン段階では、背外側前頭前野と前頭眼窩野、報酬系、
ネガティブ処理段階では、前頭眼窩野と扁桃体、
自己変容段階では、外側前頭前野とデフォルトモードネットワーク、報酬系
が主なものではないかと考えられています。
無論、これらは一つのモデルであり、すべての場合に同じような活動が引き起こされるわけではありません。
しかしながらアートを見ているときの心的表象と脳活動を照らし合わせる時、
一つの参考になるのかな、と思いました。
【参考文献】